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登校拒否の部屋
登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題を子どもの立場から考えます。 参考 登校拒否研究室 インターネット小児心療内科医院

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良い子を演じる(1)

教師が児童に強いストレス刺激を与えると、児童は程度の差はありますが、その教師から逃げ出そうとします。逃げ出せないときには、暴れます。暴れられないときには、いろいろな症状を出します。程度の差があることを注意してください。周囲から見ても気づかない場合もあります。

子どもの場合、これらの反応をしないで、所謂良い子を演じる場合があります。なぜ良い子を演じるのか、その点は分かりません。理由はいろいろと考えられますが、脳科学的には不明です。傾向として、良い子であるようにと親から繰り返し対応されている子どもにその傾向が強いです。

良い子を演じる子どもは、良い子を演じなくて良い状況では、反社会的行動をしやすいです。これも子どもを観察した結果の、子どもの傾向です。脳科学的な説明は付きません。

良い子を演じる子どもは先生や親の前ではとても行儀正しいです。模範すぎるぐらいに良い子です。成績も良い場合が多いです。先生のお気に入りの子どもになります。けれど、先生や親のいないところでは反社会的行動、不適応行動をとります。いじめ、ものを壊す、万引きをする、などを行います。

良い子を演じている子どもについて、親や先生から見たら、とてもいじめを起こすとは考えられません。その結果、先生や良い子を演じている子どもの親、大人たちは、いじめられている子どもに問題があると考えてしまいます。

人間、誰でも、自分で見聞きしたことを信じます。自分で経験しないことを信じられません。子どもが良い子を演じてしまうと、周囲の大人はことの本質が分からなくなります。ですから、科学的に考えなければならないのです。

登校拒否、不登校、引きこもり問題に関わる人たちの中には、子育ての経験のない人、不登校の子どもを育てた経験のない人が結構多いです。そのような人は自分の経験の範囲で、自分の知識から、この問題を考えます。ですからそのような人には、登校拒否、不登校、引きこもりの子どもの理解は大変に難しいです。それでいて、登校拒否、不登校、引きこもりを良く知っていると主張しています。



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【2005/01/31 07:39】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

登校拒否の原因

このトピックでは、脳科学的に登校拒否、不登校を考えます。脳科学的には、登校拒否は学校または学校に関するものを恐怖の条件刺激とする恐怖の条件反射です。

学校を恐怖の条件刺激にしているのですから、学校で恐怖体験をしています。その恐怖体験は教師から、ほかの子供から、そして学校内の事件から、などが考えられます。これらの原因のひとつが作用して恐怖の条件刺激を学習している場合もありますが、これらが相乗して恐怖の条件刺激を学習している場合もあります。

恐怖に対する耐性(心を強くする)も考える必要もありますが、これは大変に難しいです。下手をすると、親としては子供に、恐怖に対する耐性をつけたつもりが、逆に心に傷をつけている場合があります。現在のように、まだ心の傷を知らない大人が多い中で、子供の心に恐怖に対する耐性をつけることは失敗する可能性が高いと考えられます。成功例はほんのわずかだと思います。ただし、成功例は目立ちますから、注目されやすいです。

一般論として、恐怖に対する耐性をつけるのは自然の成り行きが一番よいと思います。親は絶えず子供の心を癒す役割がよいと思います。ただし、特殊な目的を持って子供を育てる場合には、その親なりの恐怖に対する耐性を、親の責任で子供につけさせてもよいわけですが、子供が傷つきやすいことを絶えず頭に入れておく必要があります。特に教師は子供に一生懸命指導するあまり、逆に子供を傷つけている可能性を考えておく必要があります。傷ついた子供に気づかないからです。

原因の除去は大変に難しいです。学校内で子供が恐怖体験をする条件を取り除かなければならないからです。ある子供には恐怖でも、別のある子供には恐怖でないか、時には喜び刺激になっている場合があります。また、いくつかの恐怖体験から恐怖の条件刺激を学ぶ場合には、ひとつの問題を解決したからといって、すべてが解決するわけではありません。また、現在のようにいろいろな感性のばらつきがある子供たちの間で、集団生活をする場合、程度の差はあっても子供は恐怖体験を経験すると考えたほうがよいです。

程度の差はあっても、子供が学校で必ず恐怖体験をするなら、親も子供は学校で必ず傷ついていると考えたほうが、子供を育てるのには好ましいと思います。親はその子供の心の傷を癒す役割と考えたほうがよいようです。あくまでも原則であり、元気でどんどん伸びていく子供にはこのことを考えなくてもよいわけですが、そのような子供でも、状況が変わるといつの間にか心に傷を帯びている場合をしばしば経験します。

そのような意味で現在のいわゆるよい指導者は、成功例も持っているでしょうが、その影に隠されて、傷ついて苦しんでいる子供がいることにも注意してください。
【2005/01/30 14:38】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

登校拒否、不登校、引きこもりの定義

概念的定義(大人が子どもの様子から判断)
登校拒否は学校について、子どもが行きづらさを感じている状態。学校に行っている場合もある。
不登校は登校拒否の内で現実に学校に長期に行っていない。
引きこもりにつて、子供が家の外、または部屋の外に出る際に辛さを感じて、現実に長期にわたって家の中に閉じこもる、または部屋の中に閉じこもる

脳科学的な定義
登校拒否とは、学校に恐怖の条件刺激を学習した子供
不登校とは、登校拒否の子供のうちで、恐怖の条件刺激への回避行動として、現実に学校に行かない子
引きこもりとは、家の外の何かに、または部屋の外の何かに、恐怖の条件刺激を学習した子供で、その回避行動として現実に家の外に出ない、または部屋の外に出ない子供
【2005/01/30 07:11】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子供の生きる姿

子どもの生きる姿、本当の姿は本能で生きている(本当は情動)ています。その姿とは別に、子どもは習慣の心でも生きています。年齢とともに、習慣の心の割合が増えていきます。そして情動がきわめて落ち着いているときには、思考の心が働きます。

子どもは人間の形をして、時には大人顔負けの言葉を発し、大人顔負けの行動をします(これらは習慣の心からの反応です)。ですから、大人は、子どもは大人を未熟にしたも、経験不足の人間と考えがちですが、そうではないのです。そして、思春期を過ぎると急激に大人の人間になっていきます。思考で情動を調節して、生きていくようになります。

子どもと大人と心の構造が違う、子どもには子どもの心にあった対応が必要であり、大人の間で成立する人間のあり方は、子どもには当てはまらないのです。子どもの心にあった対応とは、確かに大人と比べて子どもは経験不足ですが、その子どもなりに十分に経験しています。子どもの反応はその経験によるものと、情動によるものから、一人前になされています。その情動も大人のように歪められていないので、とても鋭く強く反応します。それが子どもとして生理的なのです。

それらが大人と違うから、子どもっぽい、それではダメだと大人が判断する限り、大人から程度の差はあっても子どもたちを苦しめることになります。いくら子どものためと言って、一生懸命子どもに対応しても、子どものそのままのあり方を否定している限り、子どもたちは受け入れてくれません。受け入れたと思えても、それは子どもたちの方で、大人のために良い子を演じているだけのことなのです。

これらの事実に気づいている人もいます。けれどきわめて少数です。多くの大人は、動物や植物を育てるように、子どもを育てればよいと考えているようです。そして、このカテで私を非難している人たちも、この事実に全く気づいていません。

動物や植物を育てるように育てられた子どもの多くは、見かけは大人と同じように育つでしょう。大人の見ている前では大人の思いに沿った行動をするでしょう。けれど人間としての心は育っていません。育っていないところがあると表現した方が正確でしょう。大人の見ていないところでは、それとはまるで逆の、好ましくない行動をとるようになります。大人の見ていないところでの行動の仕方の心が育っていないからです。
【2005/01/29 08:00】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

自分らしさの発見

自分らしさの判断は子ども自身しかできません。親が子どもを完全に理解できたなら、親が子どもに与えることができます。けれど、現実には親が子どもを理解できていると思っていても、そのこと自体が間違っている場合が多い(殆ど全て)です。子どもは親の期待に応えようとしますが、その限界を超えたとき、子どもは動けなくなります。辛い状態の子どもは親の期待に応える余裕がないのです。そのような子どもは自分らしさを自分で探すしかないのです。それは効率の悪い方法ですが、それしか方法が無いのでやむを得ません。
【2005/01/28 08:41】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

学校についての誤解

登校拒否、不登校の子どもに関しては、学校に責任があります。けれど多くの元気な子どもに関しては、学校は子どもたちのためになっています。

学校は多くの子どもたちのためになっています。けれど一部の子どもたちの心を傷つけています。その心を傷つけられた子どもたちが、登校拒否、不登校を起こしています。

このカテは登校拒否、不登校、引きこもりの子どもたちを守るためのものですから、ついつい学校を非難してしまいますが、それは登校拒否、不登校の子どもたちの立場に立ってであり、それ以外の子どもには、決して学校が悪いとは言っていません。

学校で心が傷ついて、学校には行けなくなった子どもたちを学校に戻すなと言っているのです。子どもたちにとって学校は必ず必要なものではないからです。学校に戻す対応で、子どもたちが一生を台無しにするのなら、学校に行かないで生きた方がよいと言っています。
【2005/01/27 07:40】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

逃げ出す

 人間を含めて、哺乳類は嫌なところから逃げ出そうとします。逃げられないときには攻撃します。この事実は、すべての子どもに、程度の差はあれ、当てはまります。そして、大人は意識的に逃げ出そうとする反応を抑えて、嫌なことに対処することができます。
つまり子どもが逃げ出したところに、その子どもにとって嫌なものがあり、逃げ出して行ったところには、その子どもにとって嫌なものがないか、あっても、逃げ出したところにあった嫌なものよりは嫌でない場所です。

登校拒否、不登校の子どもについては、子どもたちは学校から親のいる家庭に逃げ帰ります。それは、子どもは潜在意識で学校に嫌なものがある、学校が辛い、という意味で、学校よりは家の方が良いと判断し、行動で表現しています。

大人からみたら、子どもの不登校の原因として、家庭に問題があると考えられても、子ども自身は学校が問題だと潜在意識で判断して、行動で家庭に逃げ帰っています。学校よりは安全な家庭から、学校へ出ていこうとはしません。

登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題を扱うときには、大人がこの問題をどのように考えるかではなくて、子どもがどのように判断しているのかを考えなければならないのです。大人がこう思うという大人の思いで対応したときには、子どもの判断と異なっている場合が多いですから、子どもは大変に辛くなります。子どもは大人が分かっていないと言って、大人の対応を拒否してしまいます。

もちろん、親のあり方が、親の育て方が、登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題の根本的な問題であるのかもしれません。また、そのような場合もあるでしょう。けれど子どもが登校拒否、不登校を起こす直接的な要因は学校にあります。子どもはそのように判断しています。その要因は子ども個人に働く場合も、クラスの子ども全員に働く場合もあるでしょう。子ども個人に働いたときには、大人はその要因に気づかない場合が多いです。理由もなく、子どもが問題行動を起こしたと、その原因は親にあると、考えがちになります。
【2005/01/26 11:51】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの登校する心

子どもが学校に行くかどうかという行動を、子どもと学校との力関係から、分析してみたいと思います。それは子どもがどのような心の状態で、学校と関わっているのかを、示しています。力と書いたのは、物理的な力ではなくて、動機と理解してください。子どもたちは以下に示します、これら四つの力関係の中で、学校と関わっています。


1.子どもが学校を求めるための内的な欲求(学校に行きたい、友達と遊びたい)として、子どもの「エネルギー」があります。これが子どもが学校と関わる最も自然な姿です。

2.子どもが学校に行くための「押す力」として、子どもの周囲(子ども自身の学校には行かなくてはならないという知識、親、兄弟、近所、教師)からの圧力があります。これは子どもが学校に行きづらくなったときに作用し出します。

3.学校が子どもを引きつける吸引力(心の傷を癒す作用)として、または排斥力(心の傷を深める作用)として、学校側の「受け入れ態勢」があります。これは子どもが学校に行ってみて、子ども自身が直に感じる力です。それは学校側のもくろみと子どもの感覚と異なっている場合を、私はしばしば経験しています。

4.学校の中に子どもの嫌がるものがある、または、学校で子どもの心が傷ついしまったという事実からの、学校を回避するための「回避力」として、学校そのものから受ける嫌悪刺激があります。これは家庭で時間をかけて解消することができます。


普通の元気な子どもは、「エネルギー」がとても大きくて、「押す力」がなくても、少々「受け入れ態勢」が悪くても、少しぐらい「回避力」があっても、学校に行ってしまいます。学校生活を楽しむことができます。

学校で子どもの心が傷つくと、だんだん「回避力」が大くなっていきます。子どもは苦しみながら学校に行き続けます。それでも学校側の「受け入れ態勢」が良くて、学校が子どもに吸引力になっていれば、子どもの苦しみはその分、少なくなります。苦しみながらも学校に行ってしまいます。学校側の「受け入れ態勢」が悪くて、子どもへの排斥力となっている場合には、子どもの苦しみはその分大きくなります。子どもの心の傷をより広げ、「回避力」を強くしていきます。この「回避力」は主として家庭で癒すことができますが、学校で子どもが傷つく時間に比べて、遙かに長い時間を要します。

学校で子どもの心がもっと傷つくと、「回避力」が「エネルギー」を上回って、子どもは学校へ行きづらくなります。すると、「押す力」が作用しだして、子どもは学校には行けない状態で、とても辛い状態で、学校に行き続けます。登校拒否の状態になります。当然、「押す力」が弱ければ子どもは心の傷が浅い状態で、早く不登校の状態になります。それは早く不登校状態を脱出(元気で社会へ出ていける、時には学校に戻れる)できることを意味しています。

学校での子どもの心の傷が深まると、「回避力」が「エネルギー」や「押す力」、「受け入れ態勢」の力を上回ったときには、子どもは不登校状態になります。どのようにしても子どもは学校に行けなくなっています。ただし、「回避力」は時間の経過や、家庭での対応で、弱まる傾向にあります。


不登校状態の子どもが学校に戻ろうとするときも、これらの力関係で子どもが学校に戻れるか戻れないか、決まります。

不登校状態の経過の中で、子どもの中のエネルギーが蓄積されてくると、経過の中に弱まってきた「回避力」より「エネルギー」と「押す力」とが上回ってきます。すると、子どもは学校に戻る場合があります。そして学校に戻ったとき、「受け入れ態勢」が吸引力となれば、その吸引力の程度によって、子どもは苦しみながら学校に行き続けます。その後の上記の4っつの力関係によって、学校を卒業することも可能ですし、そのまま社会へ出ていけるようにもなります。

「受け入れ態勢」が排斥力として働くなら、子どもはまた不登校状態に戻り辛い状態になるか、学校を利用しないで蓄積されたエネルギーを発散しようとします。不登校状態に戻ったとき、「エネルギー」が大きいと学校を利用しないでエネルギーを発散しようとする傾向が大きいし、「押す力」が大きいと、子どもは辛い状態に戻る傾向にあります。

ただし、子どもの「エネルギー」が高まったとしても「押す力」が弱かったら、子どもは必ずしも学校に戻るとは限りません。学校に戻らないで、その子どもなりに直に社会へ出ていってしまう場合も多いです。「押す力」が子どもを学校に戻す重要な要因の一つですが、「押す力」によって子どもを学校に戻した場合、そして「受け入れ態勢」が子どもに排斥力として働いたなら、子どもは「受け入れ態勢」からの排斥力を長く、強く受けて、せっかく高めた「エネルギー」を使い果たしてしまいます。子どもは大変に辛い状態に戻って引きこもってしまいます。
【2005/01/26 11:33】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

なぜ働くか

 人間が働く理由は、生きていくためです。生きていくための物質を手に入れる(経済的な自立)ために働きます。生活に余裕ができて、生きていくための物質を手に入れる必要がなくても、自分の欲望を満足させるために働きます。ただし、どこまでが生きていくためのものか、どこまでが欲望を満足させるためなのか、その区別は大変に難しいです。大人が働く場合には、それでよいと思います。

 現代社会の働くという概念を考えるときには、働く人の要素(身体と心)と働く場所のと関係を考えなければなりません。
1.ある人が働く能力があって、働こうとするときには、その人が働ける場所がある
2.ある人が働く能力があって、働こうとしても、その人が働く場所がない
3.ある人が働く能力があって、働く意欲もあるが、働くこと以外のことにより高い価値を見つけた場合。ただし、この場合には、他人によって経済的に支えられる必要がある。
4.ある人が働く能力はあるが、働こうとする意欲がない(自立心が何かで障害されている。必ずしも育っていないわけではない)場合。
5.ある人の身体的に(未成熟を含めて)働けない、働いてはいけない場合。ただし働く環境を身体的な問題にあわせれば働ける場合がある。

 子どもは親に守られて、成長し、社会性を得て、独立して社会に出ていきます。大人として自立するには、どうしても働かなくてはなりませんし、自立心のある大人になれば働くことに納得がいきます。けれど、大人でも自立心のない大人がいます。そのような大人は、何かの理由で(多くは心に傷を持っていて、それが疼くために)自立心が発揮できないでいます。ただし、大人で自立心がなくても、運良く経済的に働かなくても良い大人もいますし、自立心があって働きたくても、働く場所がない大人もいます。また、自立心があって働いていた大人が、自立心を失い、働かなくなる場合もあります。当然その結果は悲劇になります。

子どもと大人との境界線上の子どもに関しては難しい問題があります。多くの子どもは自立心を意識しなくても、年齢とともに自立心が成長し、確立してきて、学校を終えた段階(すでに肉体的には成長している)で就職し、労働環境などの子どもの周囲の環境に順応して、心的にも経済的にも自立していきます。又、多くの親も子供にそれを望んでいます。

子どもと大人との境界線上の子どもが学校を卒業(仕方なく終えることも含めて)しても、就職しない子ども、就職してもすぐにやめてしまいそれ以後就職しない子どもの数が増えて社会問題になっています。それは親や大人たちが、学校を終えた子どもは就職すべきだという常識から生じる問題点です。大人たちはいろいろな理由を付けて、これらの働かない子どもたちを問題視しています。子どもの立場から問題視することは良いのですが、多くの場合、大人の立場から問題視して、子どもに原因を求めてしまっていますから、子どもたちはより苦しくなってしまいます。子どもたちには責任がない場合が多いからです。

では、なぜ子どもたちが学校を終えても仕事に就かないかを考えてみます。
その第一は、子どもたちの心に傷があり、働く環境が子どもたちの心の傷を疼かせるからです。それは外見上、自立心がない、働く気がない、働いてもすぐにやめてしまう、と大人たちに理解される形で現れています。大人たちが、子どもの心が育っていないと感じる場合です。子どもたちの表現では、働かなければならないと意識するのですが、働く意欲が出ない、働くことを含めて社会と関わることを考えると辛くなるという事実から働きません。また、働く場合にも無理して働くということになり、長続きしないという現実があります。

子どもたちの中には、経済的な自立(お金を得る)という理由よりも、自分の存在価値を大切にして、学校を終えてもその子どもらしさを求めるために、就職しない子どもがいます。その子どもなりの生き甲斐のある仕事を探している子どもたちです。それは間違った生き方ではなくて、学校を終えても、その子どもなりの生き方の勉強をしていると考えられます。つまり学生と同じ意味合いです。それは子どもたちが真剣に自分の生き方を考えだしたこと、その子どもを支える親にそれだけの余裕があることが、背景にあります。

【2005/01/26 11:25】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

不登校の原因の認識

不登校の原因の認識

あくまでも一般論として、不登校の子どもを持つ親に、注意を喚起しておきたいと思います。親は子供の不登校の原因を見つけだして、それを解決して、子どもを学校に戻したいものです。その際に、子どもにあれやこれやと聞き出して、不登校になった原因を探し出そうとします。

子どもは母親の質問に答えて、いろいろと辛かったことを母親に言います。その子どもの言ったことが、不登校の原因になっているかというと、必ずしもそうではありません。
1.子どもの言ったことが、不登校の原因になっている場合もあります。その子どもの言ったことを解決することで、子どもが問題なく学校生活が出きるようになるという意味です。子どもが学校に行き渋りだしたときに、時に見られます。ただし、このようなケースはきわめて少ないです。
2.子どもの言ったことが、不登校の原因の一部になっている場合もあります。この場合は多いです。当然、子どもの言った問題点を解決しても、子どもの不登校問題は解決しません。不登校の原因を解決したのに、子どもが学校には行けないという理由から、子どもの問題点が指摘されるようになります。子どもがますます追い込まれることになります。
3.子どもが自分の不登校の原因となっていないことを、原因と考えている場合があります。不登校の原因を、子どもには不登校の原因とは考えられない場合です。多くの場合、おやん思いを汲み取って子どもが判断しています。このような子どものケースも結構多いです。
4.子どもが自分の不登校の原因を答えられない場合があります。子どもが不登校の原因を意識していない場合です。自分に起きた事柄としては記憶していても、自分の不登校の原因とは意識していない場合です。その結果自分の不登校の原因に気づいていません。多くの子どもでは、その結果自分の不登校の原因でないものを不登校の原因だと考えてしまうようです。。
以上は子どもに不登校の原因を聞きただして、子どもが答えた場合です。

それ以外に、親が子どもの不登校の原因を聞きただしたときに、子どもの心の傷が疼いて子どもの状態が悪化する場合がとても多いです。それを機会に子どもが大変に辛くなります。子どもが暴れたり、神経症状を出したり、精神症状を出したりします。

次に子どもの不登校問題が解決して、子どもが元気に社会と関わりだしたときに、子どもに不登校になった原因を問いただした場合です。質問に答えて、子どもは辛かったことを言うことができます。けれど注意して欲しいことは、子どもは自分が辛かったことの詳細をほとんど忘れているという事実です。子どもは断片的には辛かったことを覚えていますが、あれほど親を苦しめるほどに反応していたことのほとんどすべてを、子どもは忘れています。

もっと時間が経過する(完全に大人の心になったときには)と、あれほど苦しんだことを、あれほど苦しめられた学校を、自分の人生に必要だったと、肯定的に考えるようになります(大人になって自分の不登校のことを考えたときには、それは苦しんでいたときの不登校とは全くといって良いほど異なっている)。

子どもにとってはそれでよいのだと思います。過去を忘れてしまえば過去に捕らわれることはありませんから、子どもは過去に捕らわれなくて、未来に向かってどんどん羽ばたいていけばよいと思いますから。
【2005/01/26 10:54】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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