登校拒否の部屋
登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題を子どもの立場から考えます。 参考 登校拒否研究室 インターネット小児心療内科医院

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子どもの判断を大切に

幼い子どもの時代に、社会とうまくつきあえないのは子どもとして当然でしょう。そこでその子どもを守るのが親の役割です。親は子どもの周囲から子どもを守り、子どもの成長を保証するためにあります。

親が社会の勝手な判断を受け入れて、子どもに強要するから、子どもが孤立してしまい、子どもの成長が保証されなくなります。子どもが社会に順応できなくなります。

その社会に順応できなくなった子どもを見て、それみたことかと言うのが現在のあり方です。親もそれに乗っ取って、子どもは親に守られたいのに、親の方から子どもを否定することになります。

子どもの成長に関して、周囲の人が手を出すことで、成長を保証しようと言うのは間違いです。それは子ども特有の成長を否定することになるからです。

子どもの成長は子どもがするのであり、周囲の大人が勝手に、このようになれとして方向性を与え、強いる物ではありません。
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【2005/05/31 21:57】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

くじける

子どもがくじけると表現することは、子どもが困難に直面して、それを乗り切れないという意味でしょう。乗り切れないときには乗り切れるようになるまで、子どもの成長を待つべきです。もう少しで乗り切れると言うときには、親は子どもを信頼して見守るべきです。子どもは親の信頼に守られて、その子どもなりに挑戦して、困難を乗り切っていきます。

子どもは親や他人に助けられたら、そのことを克服した意味がありません。自分で工夫して、努力して乗り切る必要があります。そして、子どもは克服できそうだと親や大人に助けを求めません。親や大人に助けを求めるときには、子どもの能力以上の障害に直面しているという意味になります。

ただし、親や大人に先回りした対応を受けている子どもは、親や大人に依存をしてきます。自分で克服できる障害も助けてというサインを出すようになります。
【2005/05/30 18:44】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

中学校の子ども

現在の中学校が子ども達にストレス刺激を与え続けているという、子ども達にとって好ましくない状態にあると考えられます。そのストレス刺激により、子ども達はいらいらする時間が多くて、その時は互いに優しくなれないのです。他の子どもをついつい攻撃したり、逆に無視をしてしまうのです。そのように、弱い立場にある子どもを攻撃して、多くの子ども達は学校内で自分を維持しています。

親や先生方が、子ども達の不登校の原因を考えて、子どもに原因の一端があると考える場合があります。それもその子どもが学校での辛さからその子どもらしさを発揮できないためなのです。多くの場合、その子どもが優しすぎて、他の子どもを攻撃できないから、子ども達の間では一番苦しい状態になってしまいます。

他のクラスメートが問題のように見えても、その大本の原因は学校が生徒達にとって息苦しいことにあります。そのことを無視して、子ども達の問題を子ども達の間だけで解決することはできません。それをしようとすると、子ども達の不登校問題の傷口をますます大きくしてしまいます。

学校側は生徒達によいことをしていると判断しています。その結果として、子ども達が苦しくなっています。子ども達が苦しいのは子ども達に問題があると考えています。学校には問題がないと考えています。

そのような学校の中で、不登校の子どもの問題を解決しようとすると、その子どもは責められ、ますます他の子どものストレス状態の発散のターゲットにされてしまいます。

多くの人々は理解できないことですが、不登校の子どもを守るためには、その子どもが納得するまで、学校を休ませて上げることでしょう。現在の学校制度を守るために、子どもが犠牲になったのでは本当に不幸です。不登校の子どもを守るために、学校を休むことはとても大切です。
【2005/05/29 21:10】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

行動

「大人なら、その人のしそうなことは分かるけれど、子供なんて何をやらかすかわからない」という人がいます。どちらかというと多いと思います。

大人は或行動を下結果を推定して、その結果に合うように行動することができます。また、その結果を生じないようにも、行動することができます。その結果として、大人の場合、その人の傾向からその人のしそうなことは分かりますが、実際に何をしだすのか分かりません。

子どもは与えられた環境に順応しようとして成長します。子どもは受けた刺激に素直に反応します。それは今までのその子どもの経験を無意識に思い出して、反応します。子どもの場合与える刺激に対して、その子どもなりに、かなり同一の反応を繰り返します。

子どもが問題行動を起こすにはそれなりの理由があります。その理由を理解してないで、子どもを非難するのは間違いです。その事実を知らないで子どもの問題に関与されたら、子ども達がかわいそうです。
【2005/05/28 23:24】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ある人への返事

一言で言うなら、現在の中学校がお嬢さんを含めて、子ども達にストレス刺激を与え続けているという、子ども達にとって好ましくない状態にあると考えられます。その結果、子ども達はいらいらする時間が多くて、その時は互いに優しくなれないのです。他の子どもをついつい攻撃したり、逆に無視をしてしまうのです。そのように、弱い立場にある子どもを攻撃して、多くの子ども達は学校内で自分を維持しています。

お嬢さんは素直な、優しい、とても良いお嬢さんです。お嬢さんに原因の一端があると理解されていますが、それもお嬢さんが学校での辛さからお嬢さんらしさを発揮できないためなのです。お嬢さんは優しすぎて、他の子どもを攻撃できないから、一番苦しい状態にあります。

他のクラスメートが問題のように見えても、その大本の原因は学校が生徒達にとって息苦しいことにあります。そのことを無視して、子ども達の問題を子ども達の間だけで解決することはできません。それをしようとするとますます傷口を大きくしてしまいます。

学校側は生徒達によいことをしていると判断しています。その結果として、子ども達が苦しくなっています。子ども達が苦しいのは子ども達に問題があると考えています。学校には問題がないと考えています。

そのような学校の中で、お嬢さんの問題を解決しようとするとお嬢さんは責められ、ますます他の子どものストレス状態の発散のターゲットにされてしまいます。

きっとloveiinaさんには、理解していただけないかとは思いますが、お嬢さんを守るためには、お嬢さんが納得するまで、学校を休ませて上げることでしょう。現在の学校を守るために、お嬢さんが犠牲になったのでは本当に不幸です。お嬢さんのために、学校を休むことはとても大切です。
【2005/05/27 14:03】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

大人の嫌がる行動

あるところで、子どもの問題行動についての話し合いがありました。その際にある人が「大体子供なんて何をやらかすかわからない」と発言しました。

この発言は間違いです。大人こそその人の利益を考えて欲望から何をし出すか分かりません。けれど、辛い状態にない子どもは、元気な子どもは、与えられた環境に順応しようとして成長します。それは大人にとって好ましいとは限りませんが、大人にとって問題だと感じるような行動は取りません。

子どもが問題行動を起こすにはそれなりの理由があります。その理由とはその子どもが辛い状態にあるという、子どもの側からの訴えです。もっと正確に言うと、その辛さを回避するための、回避行動です。その事実を知らないで、子どもの問題に関与されたら、子ども達がかわいそうです。

子どもは原則として大人の嫌がる行動をすることはありません。大人の嫌がる行動を子どもがするときには、子どもは何か辛い状態にあります。その子どもの辛さから、子どもを守って上げたなら、子どもは大人の嫌がる行動をしようとはしません。親や子どもに関与している人は、子どもが行った問題行動ばかりを見ないで、その子どもの心の中をのぞいて上げてください。
【2005/05/26 15:01】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの言うことを聞くこと

>親は子供の言う事を何でも聞けば良いんですか?

「子どもの言うことを聞く」という、形は同じでも、
子どもを信頼して子どもの言うことを聞くのと、
仕方なく子どもの言うことを聞くのと、雲泥の差があります。

その違いに気づいて欲しいと思います。
子どもの言う無理難題は、親をテストしているからです。その子どもからの思いを詩にした物があります。一度記載したことがあるのですが。


母へ

この人は、私のことを
本当に、わかろうとしてくれているのかしら。
本当に、認めてくれようとしているのかしら。

この人は、一体どうして
『いつも言いなりになってもらうことを望んでいる』
と思い込んでいるのかしら。

要求をビクビクと受け入れられるたび、思います。

ああ、この人は、もう、私なんか見ていない。

私のことを、なにか恐ろしい、
理解を超えた狂人だと思っている。

見ているのは私の表情ではなく安いマニュアル。
聞いているのは私の声ではなくセンセイの言葉。

だからねぇ。
あなたに私の声が届くまで、私はやめない。
【2005/05/25 10:21】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの出す無理難題

「子どもが親に向かって無理難題を持ちかけるとき、親は子供の言う事を何でも聞けば良いんですか?」という質問がありました。そこで考えて欲しいことは、「子どもの言うことを聞く」という、形は同じでも、「子どもを信頼して子どもの言うことを聞く」のと、「仕方なく子どもの言うことを聞く」のと、雲泥の差があります。その違いに気づいて欲しいと思います。

子どもの言う無理難題は、親をテストしているからです。その子どもからの思いを詩にした物があります。


母へ

この人は、私のことを
本当に、わかろうとしてくれているのかしら。
本当に、認めてくれようとしているのかしら。

この人は、一体どうして
『いつも言いなりになってもらうことを望んでいる』
と思い込んでいるのかしら。

要求をビクビクと受け入れられるたび、思います。

ああ、この人は、もう、私なんか見ていない。

私のことを、なにか恐ろしい、
理解を超えた狂人だと思っている。

見ているのは私の表情ではなく安いマニュアル。
聞いているのは私の声ではなくセンセイの言葉。

だからねぇ。
あなたに私の声が届くまで、私はやめない。


この詩の意味が分かるようになれば、子どもがなぜ親に向かって無理難題を投げかけてくるのか理解できると思います。
【2005/05/24 10:42】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの成長

幼い子どもの時代に、社会とうまくつきあえないのは子どもとして当然でしょう。そこでその子どもを守るのが親の役割です。親は子どもの周囲から子どもを守り、子どもの成長を保証するためにあります。

親が社会の勝手な判断を受け入れて、子どもに強要するから、子どもが孤立してしまい、子どもの成長が保証されなくなります。子どもが社会に順応できなくなります。

その社会に順応できなくなった子どもを見て、それみたことかと言うのが現在のあり方です。親もそれに乗っ取って、子どもは親に守られたいのに、親の方から子どもを否定することになります。

子どもの成長に関して、周囲の人が手を出すことで、成長を保証しようと言うのは間違いです。それは子ども特有の成長を否定することになるからです。

子どもの成長は子どもがするのであり、周囲の大人が勝手に、このようになれとして方向性を与え、強いる物ではありません。
【2005/05/23 15:43】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱い部分

心について、所謂発達障害と言われている子どもについて、その子どもの障害の部分=弱い部分を指摘されたままのほうが辛いから、その弱い部分を強くして上げる必要があるという意見があります。その子どもにとって、周りから弱い部分と思われている部分でも、その子どもにとっては自然なのです。その子どもにとって自然なことを、問題だと指摘されると、子どもは否定されたことになり、大変に辛くなります。周囲の人は、その子どもの問題だと考える部分を指摘しなければよいのです。指摘することが間違いです。

客観的に発達障害と示すことができるのでしたら、それはそれなりの対応が必要ですが、それがない限り、子どもの意志に沿った対応が必要です。大人の勝手な判断で対応するぐらいなら、しない方が子どものためです。

繰り返しますが、心に関する専門家とはそればかりをしていて、他のことが何も見えないという意味だと思います。子どもの心の立場から考える必要があります。現在の専門家といわれている人の中に、子どもの心を客観的に捕らえているひとは、私の見る限り存在していません。子どもの心はこうなっていると決めつけて行っているだけです。
【2005/05/22 16:54】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

平均値

所謂障害児に関して「平均値から極端に外れている能力を強化するのに手を貸すことは悪いことではありません」というMSGをある人から貰いました。身体に関する障害でしたら、このMSGは間違いではありません。けれど心に関する所謂障害児に関しては間違いだと思います。

その理由は、平均値という物が存在しないからです。障害の程度を測定しようがないから、例え仮に平均値という物が考えられたとしても、人によりその平均値の判断が違うことです。傾向はあるでしょうが、その傾向ですら、文化により大きく異なる場合があります。ありもしないその平均値という物を押しつけられた子どもは大変に辛くなるという事実もあります。

平均値というものがないとこにもってきて、その平均値から極端に離れているという、貼られ具合の測定法もありません。心に関する所謂障害児と言われる子どもにとって、その瞬間のその子どものあり方が、その子どもにとって普通と感じているのに、その子どもと全く関係ない平均値という物を押しつけられて、また、その平均値から極端に外れているという判断を押しつけられて、その子どもは周囲から否定されていると感じてしまいます。

その子どもが望まない限り、心に関する平均値とか、平均値からかけ離れているとかと、周囲の人が判断することは、その子どもにとって悪いことです。それは子どもを拷問するような物ですから。
【2005/05/20 09:43】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもも一人の人間

 大人でも、その人の嫌がることを要求されるととても辛くなります。それは子どもにも当てはまります。ただし、大人の場合、辛さを意識的に我慢して、要求されたことをすることができます。しかしそれにも限界があります。

 子どもには原則として、それができません。子どもには原則として、我慢ができないのです。子どもが嫌なことを要求されたときには、子どもは我慢をしてその要求に答えることができません。子どもが一見我慢をしているように見えるときとは、子どもがその嫌な要求の他に、何かご褒美を感じている場合か、それとも、その嫌な要求以上の、嫌なことを回避しようとしている場合です。

 別の言い方をすれば、大人は納得しなくても、無理をして要求されたことをすることができます。しかしそれには限界があります。限界の広い人は我慢強いと表現され、限界の狭い人は我慢ができない人と、理解されます。

 子どもの場合には、我慢の限界がありません。常識に反しますが、子どもとは、全く我慢ができない人と理解されるのが当たり前の状態です。子どもは、子どもの本心から反応して行動します。本心とは情動です。子どもでは、子どもの本心が納得して成長する必要があります。
【2005/05/19 09:52】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

科学的に考える

私たちの周りにある物すべて、自然界の物です。私たちの周りに起こることすべて、自然のルールに従って起こっています。ただ、私たちはその自然のルールの全てをを知りません。

人間以外の動物や植物は、自然のルールという物を考えたことがありません。ただ、自然の赴くままに生きて、耐えて、子孫を残し続けています。

大昔の人間は、自分たちの周囲に起こることを驚異と感じていたようです。分からないことだらけでしたから、神という存在を考えて、納得していました。
人々の経験が蓄積されるに連れて、自然界にルールがあることに人間は気づきだし、その自然のルールを利用して、自然と関わるようになりました。その結果、文明が生じたのです。

現在、私たちは自然界のルールをかなり詳しく知ってきています。その結果、自然界の出来事は、自然界のルールを当てはめて考えるようになってきています。自然界のルールから予想した答えが現実に生じますから、この自然界のルールから得られた結果を正しいと考えるようになっています。自然界のルールを当てはめて考えることを客観的と表現するようになっています。

【2005/05/18 09:21】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

生物現象

私たちの生活は全て生物現象です。生物現象は科学で説明できるはずですし、科学の裏付けで保証されて、私たちは考えています。
心も生物現象、心も科学で解明できるはずです。しかし多くの人たちは、心に関して、まだ科学の裏付けを求めようとしていません。それは心に関する科学を多くの人が知らないという事実の他に、科学の裏付けを求めたら、私のような意見になり、現在の心理学や精神医学がひっくり返り、多くの大人が困るからです。研究者も考え方が大きく変わってこなければならないからです。

でも、辛い状態にある子どもについては、現在の心理学や精神医学がひっくり返えらないと、救われないのです。現在の大人の間の経験を、子どもに当てはめると、それは間違いになり、子ども達が苦しくなってしまいます。

ここで、間違えて欲しくないのは、多くの元気な子どもでは、このようなっことを考える必要がないという事実もあるということです。子どもの心に科学を当てはめなければならない場合とは、辛い状態になる子どもの心の場合です。

私の意見や分析を、手厳しいとか思い切ったとかという評価をなさる人がいます。辛い状態の子どもの心に関しては、手厳しいとか、思い切ったというように表現すればすむ問題でないのです。

辛い状態に或子どもの問題を考えるときには、必要なのは思いつきではなくて、客観性です。心にも客観的に捕らえる必要がある時代に入っています。ただ、多くの元気な子どもや大人に関しては、客観性が必ずしも必要ない場合が多いと言うだけのことです。
【2005/05/17 09:20】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ある人からのMSG

子供たちの居場所((安全な居場所という意味での居場所)がなく、大人たち(親や教師やマスコミなど)が、子供たちの問題行動を責め、追い詰め、そのために子ども達を辛い思いをさせる。

そのやり場のない気持ちから、子ども達は、犯罪や、自殺や・・本当に起こってはいけないことを、逆に起こってしまう(元来、それは子ども達の嫌悪刺激に対する回避行動ですが、別の見方をすると、子ども達の心の奥底からの叫び、大人達へのMSG、サインとなります)。

大人たちが、もっと子供を認め、愛していくならば、そして未来を信じていくならば(子ども達を信頼するなら。子ども達は全て信頼に値します。一見信頼に値しないように見える子ども達でさえ、大人達に信頼してという、上記のMSGを、サインを出しているだけなのです)、きっと子供たちは、幸せを求め、自分たちの未来を生きていけるのではないでしょうか。

私たち大人が直接に将来を託すのは、そして私たち大人のやってきたことの後始末をしてくれるのは、自分の子ども、そして今いる子供たちしかいないのだから。

だからと言って子ども達に傅けという意味ではありません。大人が大人として輝いていると、子どもはその大人の輝きを手本に、その子どもなりに輝こうとして成長していくことも事実です。

子どもが輝けると、大人のしてきたことにきちんと方をつけてくれるという事実もあります。
【2005/05/16 09:16】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

三ヶ月検診

三ヶ月検診を含めて、赤ちゃんの検診は何のためにあるのか、考えてみます。検診は赤ちゃんの異常を早期に見つけて、可能ならその治療をしようとするものです。異常がなければ、母親に安心感を与えるためのものであり、母親を脅かすもの、母親に不安を与えるものであってはならないはずです。

 赤ちゃんの成長曲線は、身長や体重が経験的に、その範囲に80%入る、その範囲に94%入るという意味であり、その範囲から逸脱していても、異常ではないはずです。赤ちゃんの時小さくても、大人になって大きい人をたくさん経験しています。赤ちゃんの時大きくても大人になって大きくない人もたくさん経験しています。

 赤ちゃんの時、成長曲線の外側にあるからといって、機械的に、それを問題として、母親に必要ない心配や不安を与える小児科医は、小児科医とは言えないと思います。子どもの成長を判断するという観点からの医師としての資格は素人並みだと思います。まして、医師の判断としての問題点を母親に指摘されて、その母親を怒鳴りつけるなど、医師としても失格だと思います。

終わり
【2005/05/14 04:04】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

三ヶ月検診

 ある母親が赤ちゃんを連れて、三ヶ月検診を受けたときのことです。検診の際の測定で、赤ちゃんの身長や体重が80%領域より飛び出していて、低かったのです。赤ちゃんは未熟児ではありませんでしたが、生まれたときから小さかったのです。けれど成長は順調で、母親も赤ちゃんの成長に納得していました。

 その時、担当の小児科医の言った言葉は「母乳を止めて、人工乳にしなさい」でした。母親は母乳で育てたいと、医師に説明したようですが、医師はいろいろと「こうだ、こうだ」説明して、強く人工乳を勧めました。そこで母親が「マニュアル的な指導は止めて欲しい」と医者に言うと、医者が大変に怒ったという事実があります。その母親も、本当に担当した医師が小児科医なのかと疑問に思ったそうです。

赤ちゃんの哺乳は、母乳が自然で良いに決まっています。あらゆる点で母乳は赤ちゃんに好ましいし、人工乳はその母乳をまねて作られているのであり、人工乳は母乳の不足を補うためのものです。母乳で赤ちゃんが問題を起こしているのなら別ですが、母乳が出ているのに、それを止めさせて人工乳にしなければならないという理由は無いです。

続く
【2005/05/13 09:52】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

暴れる子、おとなしい子

子どもには生きる世界があります。それは主として家庭と家庭の外、学校です。家庭の外、学校で嫌悪刺激に遭遇すると子どもは家庭に逃げ帰ります。家庭内で嫌悪刺激がないと、子どもは家庭内で元気に成長できます。それが元気な引きこもりです。

家庭内で子どもに嫌悪刺激が存在すると、子どもには逃げ出すところがありません。その結果暴れますし、暴れられないときには所謂すくみのじょうたい、辛い神経症状や精神症状を出します。その意味で、暴れる子どもの方が、辛い神経症状や精神症状を出す子どもよりも回復が早いです。

子どもが嫌悪刺激に出くわしたとき、暴れるということを経ないで、所謂すくみの状態、神経症状や精神症状を出すようになる場合があります。所謂よい子に見られます。子どもが親に訴えることを放棄した子どもです。

見方によっては親が上手に子どもを育てた、又は悪いことができない子ども、ということができますが、見方によっては親の思うがままに操縦される子どもという意味になります。親の思いで縛られた子どもといえます。
【2005/05/12 18:29】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

元気な子、元気でない子

子どもは全て、与えられた社会に順応しようとして成長します。その姿が元気な子どもの姿です。

人間を含めて全てのほ乳類では、回避系の刺激=嫌悪刺激=恐怖刺激を受けると
逃げ出します。
逃げ出せないときには暴れます。
暴れられないときにはすくみの状態になります。

このすくみの状態が、人間の子どもの場合の元気のなさに相当しています。

回避系の刺激が弱いと、少しだけ元気がなくなります。回避系の刺激が強いと、子どもははっきりと分かる症状を出して、元気のない状態になります。

人間の場合、この回避系の刺激が加わっていることが分からない場合が多いです。原因もなく、子どもが元気を失っていると判断される場合です。原因が無いと大人が考えても、それはその大人が気づかない回避系の刺激が子どもに加わっているからです。

心の傷がある場合にはその反応が強く出るという意味になります。
【2005/05/11 13:40】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

知識か実習か

 子ども達は教えられたことを実生活で利用できなければ、その知識を用いなければならなくなった状況下で、子ども達はその知識を用いた行動ができません。その結果大人達から、その子どもは非難される、叱られることになります。

それは新たにそのような知識を取り込む意欲を奪い去ります。いくら校長先生が良い訓辞をしても、先生がいくら良い説教をしても、道徳の時間にいくら良い道徳を教えても、子ども達は上の空になっていきます。

 「子ども達が子ども達の時期に実際に行って欲しい」と、大人達が思う子ども達の行動の仕方は、子ども達に知識で教えるのではなくて、子ども達にいろいろな形での練習で教える必要があります。子ども達への実習の形で教える必要があります。

実習が難しい場合には、ロールプレイングという形や、コンピューターを使ったヴァーチャルな世界のなかでの模擬体験という形でも、練習が可能です。是非、このMSGを見られた人は、このことを覚えておいて、実行してください。そうすればそれだけで子ども達との信頼関係ができてきます。

終わり
【2005/05/10 11:48】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

知識か実習

 子どもの教育に関して「理屈より体験することが重要だ」と主張する人たちがいます。この言葉を言い直すと「子どもは、理屈を体験にはできないが、体験は理屈にできる」と、なります。勿論例外や、完璧に成立するわけではないですが、子どもに関しては基本的には正しいです。子どもの特徴の一つだと考えられます。そして現在の学校の先生方や教育学者が気づいていないことなのです。

 これは、学校教育においてはとても大切なことです。学校教育とは体育や音楽、図工、家庭科など、実際に体験する時間もあります。けれど、言葉だけで教えられる時間も多いです。国語、算数、理科、社会などの、言葉で教えられた知識は、言葉だけで答えればそれでよいテストなどには役立ちますが、子どもの実生活の中では、子どもの知識はそれだけでは役立ちません。大人になって知識から動けるようになってはじめて、学校で習った知識が実生活の中で役立つようになります。

 校長先生の訓辞、先生のお説教、道徳の時間、命の尊さを教える、これらはすべて知識であり、例え子ども達がその知識を身につけたとしても、質問されればその知識に沿って答えられますが、実生活でその知識を利用することができないのです。それが子どもとしての自然な姿なのです。
【2005/05/09 17:21】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもが高校に行かない

しばらく家でぶらぶらして、いわゆるフリーターを続けて、その後社会に出て行く場合があります。社会に出て行かないで、フリーターのあと、専門学校、大検を経て大学などの道があります。
遅れて高校に行く場合もあります。
卒業後直ぐに大検を取って大学受験準備をしている子どももいます。
卒業後専門学校や、通信教育を選択する人もあります。

高校へ行かないことを責められた子どもは、いわゆる引きこもりになり、長い間動けなくなっている子どもがいます。ニートと言われる人の多くはこの状態だと推定されます。
【2005/05/08 08:34】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

新作童話(最終回)

 千香ちゃん達が鬼ごっこをして走り回ると、ピンクの花びらの波がだんだん大きくなってきました。ピンクの花びらの雨もだんだんひどくなり、大雨になってしまいました。
「嵐になったから帰るわよ。」
と、言って、千香ちゃんはモクやポンを呼び寄せましたが、どちらに帰ったらよいのか全く分かりません。周囲はピンクの雲で覆われていたからです。千香ちゃんはモクとポンをだっこすると、疲れからその場に倒れてしまいました。倒れた千香ちゃんをピンクの花びらの波が遠慮無く襲いました。ピンクの花びらの雨が千香ちゃんの上に降り注ぎ続けました。
 長いこと、千香ちゃんは眠り続けていました。千香ちゃんが目を覚ますと、千香ちゃんはベッドの上で寝ていました。両脇からモクとポンとが心配そうにのぞき込んでいました。「どうして、千香はここにいるの?いつ家に帰ったのかしら?」
けれどモクもポンもいつものぬいぐるみにかえっていて、何も答えてくれませんでした。でもね、本当はね、桜の花の精が千香ちゃんをだっこして、部屋まで連れて帰ったのですって。
【2005/05/06 15:28】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

新作童話(3)

 遠くから千香ちゃんを呼ぶ声が聞こえました。振り返って見ると、ぬいぐるみの子犬のモクがピンクの湖の上を、ピンクの水しぶきを上げながら走ってきました。千香ちゃんがモクを抱き上げると、モクはうれしそうにしっぽを振りながら、千香ちゃんの顔を舌でぺろぺろとなめました。モクの後から、ぬいぐるみの小熊のポンが、よっちらよっちらと、丸い体を揺らせて、息を切らせながらやってきました。
モクが
「何かしようよ。」
と、言いました。千香ちゃんは
「じゃあ、鬼ごっこしよう?」
と、提案しました。モクもポンも
「鬼ごっこしよう、鬼ごっこしよう。」
と、言いました。みんなでジャンケンポンをしました。千香ちゃんがチョキを出しました。モクもポンもグウでした。
「千香の鬼!さあ、つかまえるわよ!」
千香ちゃんはそういうと、モクとポンとを追いかけました。
【2005/05/05 20:01】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

新作童話(2)

 二、三日前、千香ちゃんが窓から覗いたときには、団地の敷地の中は枯れ木ばかりでした。ところが今日、窓から顔を出して覗いてみると、団地の敷地は薄いピンクの雲で埋め尽くされていました。
「わぁ~、きれ~い。行ってみようとっと。」
千香ちゃんは服を着替えると、そっと玄関のドアをそっと開けて、外には誰もいないことを確かめると、階段を下りて、団地の敷地に出てみました。
 敷地の中の桜の木が満開でした。今年はつぼみだった桜の花が、あっという間に満開になったのでしょう。空が淡いピンクの雲で覆われていました。ピンクの桜の花びらが、時折小雨のように、パラぱらっと舞ってきました。桜の木々の周囲はピンクの花びらの湖になっていました。ピンクの波が、寄せては返していました。千香ちゃんはおもしろくて、寄せては返すピンクの波をしばらく見つめていました。
 千香ちゃんは思いきって足をピンクの湖につけてみました。ピンクの波が千香ちゃんの足に当たっても、千香ちゃんの足は濡れませんでした。千香ちゃんはもう一方の足もピンクの湖につけてみました。おもしろいようにピンクの波が千香ちゃんの足を洗いました。千香ちゃんは少しずつ、湖の沖の方へ出て行ってみました。千香ちゃんはピンクの湖の上を歩くことができたのでした。うれしくて、楽しくて、千香ちゃんはスキップも始めてしまいました。
【2005/05/02 08:13】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

新作童話(1)

千香ちゃんと花びらの湖

千香ちゃんは今日もお腹が痛くて学校を休みました。お母さんは今日もご機嫌斜め。バタ~ンと、荒々しく玄関の鉄のドアを閉めて、お母さんはお勤めに出かけてしまいました。布団に潜り込んでいた千香ちゃんは、ドアの音で身をブルブルっと振るわせた後、何分かして、布団から顔を出してみました。千香ちゃんの机の上で、ぬいぐるみの小熊のポンが心配そうに千香ちゃんを見ていました。押し入れの戸の隙間から、ぬいぐるみの子犬のモクも、やはり心配そうに千香ちゃんを見ていました。
 しばらくすると、千香ちゃんはベッドから降りて、パジャマのままで居間に行き、テレビをつけて、お気に入りのゲームを始めました。小一時間ゲームをすると、千香ちゃんはゲームにも飽きてしまいました。静かな春の日でした。窓ガラスを通して明るい光が部屋の中にさんさんと差し込んできていました。その光を浴びて、千香ちゃんは絵本を読み始めました。何回も読んだことのある絵本でした。その絵本を何冊か読んだ後、千香ちゃんは窓辺に行って、少しだけ窓を開けて、外を覗いてみました。
 千香ちゃんはこの何日か、外には出て行っていません。毎朝、お腹が痛くなるために、学校には行けなかったのです。病気だからと言うことで、毎日寝ているか、家の中でぶらぶらして過ごしていました。
【2005/05/01 17:02】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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