登校拒否の部屋
登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題を子どもの立場から考えます。 参考 登校拒否研究室 インターネット小児心療内科医院

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ピアカウンセリング

大人から感じられる子ども達の心の悩みは、子ども達が家庭や社会から理解されていないために生じています。この事実が信じられるのでしたら、子ども達を理解しようとする、大人達の努力が必要なのです。

子ども達にとっては、ありのままの子どもの心で良いわけでして、子どもの心に働きかけることは子どもの子どもなりに成長しようとすることの否定になります。カウンセリングは子どもを取り巻く大人達に行うべきです。

ただし、辛い状態の子どものありのままを認めようとする、子ども達へのカウンセリングはとても大切です。しかし、子ども達は他人によるカウンセリングを求めているのではなくて、親が自分を認めてくれることを、理解してくれることを、それができなくても、受け入れてくれることを求めています。
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【2005/07/31 21:48】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

要求のエスカレート

大人は、大人の持っている知識から、状況を分析して、その大人なりに一番良い方法を選択できます。しかし、子どもは違います。子どもは大人と違って、受けた刺激に素直に反応します。

子どもは、何か必要とする物の刺激を受けたから、必要性を感じて(親はわがままだというが)強く要求します。それが満たされると、必要性がなくなりますから、その時点での強い要求はなくなります。

また、何か子どもが必要と感じる物の刺激があるところに行かない限り、刺激に出くわさない限り、子どもは強い要求をしません。

子どもの要求がエスカレートするのには、それなりの理由があるはずです。それを考慮しないで、ただ単に要求がエスカレートという目の前の現象だけで、子どもを判断したら、子どもとの信頼関係を失います。
【2005/07/30 21:23】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

楽して解決

不登校や引きこもりなど、子どもの問題を解決するのに、親が楽して解決しようとすると、どうしてもうまくいきません。勿論親は楽して解決しようとはしていませんが、そして親も一生懸命なのですが、ついつい子どもを動かして、解決しようとします。

不登校や引きこもりの子ども達は辛くて、自分を守るので精一杯です。親からでも、動かされたくないのです。子どもが動くとしたら、子どもが楽になるような方向です。

そのように子どもが楽になる方向を、親はいろいろな理由を付けて許そうとはしません。それは親が子どもの辛さを理解していないからです。親が子どもの辛さを理解できたときには、子どもが楽になる方向に動こうとすることがよく分かるようになります。

親が子どもを守るために、子どもと同じぐらいに苦しむと、子どもがゲームやテレビなどの大人から見たら安易な物に惹かれることが理解できて、子どもがそれらの物に没頭することを許せるようになります。
【2005/07/29 15:36】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

親が嫌がることをしたとき

子どもが親の嫌がることをしたとき、親は次の二つの可能性を考える必要があります。

一つは、子どもが辛いことを親に訴えている場合です。この場合は、親は子どもがしたことを受け入れる必要があります。子どもが親の辛いことをしなくなるような対応を、親はとる必要があります。

もう一つは子どもの失敗です。子どもがその子どもの持つ知識を精一杯働かせて反応した結果が、親の嫌がることだったと言うことです。この場合には親が辛いと言うことをしっかりと子どもに見せる必要があります。

親が辛いことを子どもに見せる必要があるからと言って、子どもを責めたのでは、全く意味がありません。子どもは親から責められると、親が辛いと言うことに気づく前に、自分を守るための行動に出ます。
【2005/07/28 20:22】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

親に好ましくない行動

親のいないところでの子どもの行動についてです。子どもは受けた刺激に素直に反応して、行動します。与えられた状況と言う刺激に、その子どもなりの反応をします。

それは親にとって好ましい場合と、好ましくない場合があります。親にとって好ましい場合には、親は喜びます。その姿は子どもにとって、その親が喜んだ行動を強く記憶する事になります。同じような刺激には同じように親が喜ぶような反応をするようになります。

親にとって好ましくない場合、親はそれを避けようとします。好ましくない場合を親が想定して、子どもにあらかじめ行動の仕方を教え込み、習慣づけようとします。それをしつけと呼んでいるようです。

子どもにあらかじめ行動の仕方を教え込み、習慣づけるのは、親の都合です。親が子どものためと思っているかも知れませんが、大本は親が嫌だから、子どもにあることをさせなくするという意味です。

その意味では親の不安からの子どもへの対応、教育、とでも言えるのでしょうか?
【2005/07/27 22:52】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

親はご褒美

子どもにとって自分の親自体が大きな喜びです。子どもは本能的に親の存在を喜びます。

親の喜びは子どもにとってとても大きなご褒美になります。親が喜ぶということで、子どもに親の希望する行動を取らせることも可能です。それが子どもに、親の希望する行動を習慣づけさす一番良い方法です。

良くほめて子どもに行動させるという場合があります。それも良い方法ですが、そのほめ言葉の裏には、親がその結果として嬉しいという意味を含んでいます。
【2005/07/26 20:02】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

親に叱られて

子どもは親に対して弱い立場にありますから、親から叱られると(罰をちらつかされると、それは親からの恐怖刺激になっている)、親からの罰を回避するために、親の言うことに従います。

それは子どもが親について納得したのではなくて、単に罰を回避するための行動です。
【2005/07/25 20:27】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもに判断力をつける

 子どもは真似が上手です。大人のしていることを真似します。大人が大人の希望する行動をしているなら、子どもは無条件にそれを真似します。子どもは親の背を見て育つと言いますが、ある意味では正しいです。けれど、子どもが真似をするのは親ばかりではありません。周囲の人、マスコミや小説、漫画、テレビなどの真似もします。親ばかりではどうにもなりません。それらから情報を受けたとき、単純に真似をしないで、その子どもなりに取捨選択のできる子どもにするためにも、普段から子どもの判断力を育てておく必要があります
【2005/07/24 19:23】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

親がしつける

 親が子供を厳しくしつけるといった場合、親が子供に恐怖をあたえて、子どもの行動を習慣化させたという意味でしょう。その結果子どもは程度の差はあっても、心に傷を帯びているはずです。ただし、親が恐怖を持って子どもの行動を習慣化した場合には、親(特に母親は)は子供に大きな褒美を与えて、できた心の傷を帳消しにすることができます。そのために、親が少しぐらいの恐怖を持って子どもの行動を習慣化させても、その後親の優しい愛情であるご褒美を十分に与えれば、子どもの心に大きな問題を生じることは少ないでしょう。
【2005/07/23 22:16】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

喜びで、恐怖でしつける

ご褒美を与えてある行動を繰り返させて操作記憶を成立させると、次の別のしつけの時にも何かご褒美を与えないと、次のしつけを子どもは受け入れません。ご褒美を与えるときには、必要最低限にするのがよいです。それでもご褒美がなくなったときには、それなりの影響を子どもに与えます。

 恐怖を与えてしつける場合には、割と短時間に習慣化させることができます。人間社会の中では、結果を急ぐあまり、ついつい恐怖で行動の習慣化をさせようとする傾向があります。その結果恐怖の条件刺激を学習します。所謂心に傷を帯びてしまいます。そればかりでなく、恐怖がないところでは、習慣化した行動が消失してしまう傾向があります。
【2005/07/22 20:43】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

意志からの行動としつけ

 人間の特徴は自分の意志で行動することです。自我を主張するとか自立とか言えると思います。自我を持った人に育てるためには、子どもに自分で判断する練習をさせてあげることでしょう。子どもが自我を出したときに、親のあり方と異なる場合が多いです。それは年齢による心の構造の違いや、生きている時代の差によります。

 特に近年は時代の変化が大きいです。親の判断基準は子どもには当てはまらないことが多いです。そのために、子どもが自我を出す時には、親に逆らうことになってしまう場合も多いです。親はそれを認めるべきなのでしょうが、不安から親はそれを認められないのが現実です。その結果子どもの反抗期と感じるようになります。

 しつけるとは、子どもの行動を大人の希望する形にすることです。それは操作記憶です。陳述記憶は文字で記憶させることは可能ですが、操作記憶は実際に行動を繰り返すことで成立します。子どもにある行動を習慣づけてさせる方法には、代償としてご褒美を与えるか、罰を与えるかの方法があります。
【2005/07/21 20:46】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

辛いでしょうが、子どもの立場からで

子どもが不登校や引きこもりで辛い状態のとき、親の立場で問題解決をしようとすると、却って問題が長引きます。それはそれまでにすでに、親の立場で子どもは対応してきているからです。子どもの立場で対応されていたなら、問題はすでに解決するか、解決の方向にあり、子どもは辛い状態にないからです。

子どもの辛い状態を見ていることは、親にとっても辛いことです。その親の辛さを回避するために、親が子どもに働きかける場合、子どもの問題解決を使用とする場合、子どもはそれを拒否します。それは新たな親の辛さを生じさせます。悪循環になります。

子どもの辛い状態を見て、親が子どもと同等かそれ以上の辛さを覚悟して、子どもの辛さを認めるなら、子どもは一時的に親をテストして、親を自分と同じかそれ以上の地獄に落とします。その子どものテストに合格したなら、子どもは親を信頼して、親を利用して元気になれます。親もとても楽になります。
【2005/07/20 20:26】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

地獄を経験しない限り

自己否定を起こしている子どもを、親が肯定した場合、子どもは親をテストします。親が嫌がることを、あたかもわざとのようにします。それを親が肯定しないで、拒否すると、子どものテストに合格しません。子どもは自己否定を続けます。

親が嫌がることを、親が耐えて子どもを肯定するときには、親にとって地獄の辛さがあります。子どもは意識はしていませんが、自分がこんなに辛い状態にあることを、親も経験してくれと言っているかのようです。

それを覚悟で親が地獄の苦しみに耐えると、子どもは親を信じてくれるようになります。自分を否定しないで、自分で問題を解決しようとします。自分で解決できないときには、親に助けを求めるようになります。

このように、親が子どもと同等の地獄を経験しない限り、子どもの自己否定の問題は解決しないと考えた方が良いです。親がこの地獄のような辛さを避けようとする限り、子どもは自己否定を続けます。
【2005/07/19 20:21】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

親が肯定する

子どもが自己否定に陥っているとき、子どもはいろいろな反応を起こします。年長の引きこもりでは、子どもは神経症状や精神症状を出す場合が多いです。

子どもの出す症状から、親は子どもが病気ではないかと考え、病院に連れて行きます。医療を受けることになります。

子どもの自己否定から子どもを救うには、親が子どもの全てを肯定して上げる必要があります。親が子どもを肯定してみると、子どもは次の段階で、親をテストします。

親をテストすると言う場合、子どもはおやの嫌がる事をします。それを否定したら、子どものテストに合格しません。子どもは自己否定に陥ります。親の嫌がることを肯定することは、親にとってとても辛いことです。

その辛さを抑えて、親の常識からの判断を抑えて、子どものすることを肯定すると、子どもはまもなく親の嫌がることを止めて、親の判断基準から行動するように鳴ります。
【2005/07/18 19:37】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(1) |

年長の引きこもりと自己否定

年長(高校生年齢以上のこどもの年齢)の引きこもりの子どもについて、引きこもりの原因は何であれ、引きこもっている状態では自己否定を起こしています。
子どものその自己否定から、子どもの不安が強まって、その子どもはいろいろな症状を出しています。
年長の引きこもりにおいては、その引きこもる原因はいろいろとあるでしょうが、引きこもっている状態では、自己否定が一番のネックです。自己否定が、子どもを一番苦しめています。

現在、年長の引きこもりの子どもについても、その原因を探して、その原因を解決することで、その子どもの引きこもりの問題を解決しようとされています。

現実の引きこもりの子どもについて、その子どもの一番の問題点は、自己否定ですから、自己否定を解決すれば、子どもは引きこもりの状態から脱出できます。その子どもを引きこもりに追い込んだ原因の多くは、その子ども自身が自分で解決していきます。

そして、年長の引きこもりの子どもの自己否定の多くは、親が子どもを否定することで生じています。子ども自身の努力ではそれは解決できません。親が子どもの全てを肯定することで、解決が可能です。
【2005/07/17 21:14】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

不安の悪循環

(年長の)子どもが不安状態にある
不安(嫌悪刺激に対して行動抑制がかかっている)だと、子ども自身は動けない
動けない子どもを親は問題だとして対応する
親に認められない自分を、子どもはだめな人間だと否定する
自分を否定する(葛藤状態)と、不安が強くなる
【2005/07/16 22:16】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

引きこもりと自己否定

大人と子どもとではストレス刺激に対する反応が異なります。

大人は自分の感情を調節して、乗り切ることができますから、自分の感情を調節して、つまり我慢をして、問題の解決ができます。それは子どもにも当てはまると考えていますから、大人は子どもに、自分の感情を調節することを要求します

子どもは自分の感情を調節することができません。刺激に反応して、逃げ出したり、攻撃したり、いろいろな症状を出したりします。それは親の要求に応えられません。親の期待に応えられない自分を知って、子どもは自分を否定してしまいます。

この際に、子どもは親がこうあることを求めていると認識して、それに対して自分がこうだからと言うことを認識して、だから自分はだめな人間だと考えているのではありません。

意識の上でこうあるべきと言う姿を親から与えられます。潜在意識ではその姿を拒否します。その結果、葛藤状態に自然となり、子どもは苦しくなっています。それを自己否定と言います。
【2005/07/15 20:07】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

引きこもりの対応から(終わり)

子どもが引きこもる原因にはいろいろあります。それは引きこもりの子どもの数だけあることになります。そして、親が子どもの引きこもりに気づいた頃には、子どもの引きこもりの主たる要素は、自己否定です。

引きこもりの子ども達への対応として、引きこもりになった原因を見つけて、それを解消しようとする場合が多いです。先生も、親も、所謂専門家も、子どもの引きこもりの原因を親や、当人に求めて、それを解消して、引きこもりを解決しようとしています。

けれど、親が子どもの引きこもりに気づいた頃には、子どもが引きこもりになった原因を解消しても、子どもは引きこもりから抜け出せないことが多いです。それは、その時点で、その子どもの引きこもりの主たる要素が、自己否定になっているからです。

次回から自己否定について思いつくまま書いてみたいと思います。
【2005/07/14 20:13】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

引きこもりの子ども達への対応から

今までの引きこもりの子ども達への対応から気づいたことがあります。

多くの引きこもりの子ども達への対応は、その子どもが引きこもりになった原因を除去することや、その子どもを治療したり、ある方向に動かそうとして解決しようとされています。

私の対応は、子どものあるがままを肯定することで、子どもが自分でエネルギーを貯めて、引きこもりを止めています。子どものあるがままを認めることは、親として、対応する者として大変に勇気がいります。

その対応の中で気づいたのですが、ほとんどの対応の難しい引きこもりの子ども達について、引きこもりになる原因はいろいろ考えられますが、引きこもっている状態で子どもを苦しめているのは自己否定です。過去の子どもを引きこもりに追い込んだいろいろな原因も影響しないわけではないですが、その子どもを苦しめている一番の要因は、それらの原因から生じた自己否定です。

引きこもりの問題を解決するには、子どもが陥っている自己否定を解決しさえすれば、後の問題は子ども自身が解決すると言うことです。

続く
【2005/07/13 21:15】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

否定、肯定

否定は現状維持か、後退に繋がります。

肯定は前進を意味しています。
【2005/07/12 22:09】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

育つ環境を整える

人間以外の動植物を育てるときには、人間はその動植物が育つ環境を整えているだけです。人間の目的に沿って育ってくれるように、その動植物の環境を整えています。それにより人間の要望に添った結果が出れば、それは人間には好ましいことでしょう。けれど、その動植物にとって、好ましい事かどうか、それは分かりません。

人間の子どもを育てる場合にも、育てる人の目的に沿って、子どもの環境を整えます。それはその子どもにとって必ずしも好ましいとは限りませんが、その子どもが大人になり、子どもを育てる段階になると、多くの場合、自分が子どもの頃受けてきた対応をそのまま容認するようになります。

親の中には、自分が子どもの頃受けた対応に対して嫌悪感を持っていると、自分が受けた対応とは別の、多くは自分が受けた対応の逆の対応を子どもにする場合があります。それが育てられる子どもにとって好ましいかどうかは、又別の話です。
【2005/07/11 22:30】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

育つ

子どもの身体については、親は子どもに衣食住を与えて、育てることができます。

子どもの心については、親は何ができるのでしょうか?心を親が育てることができるのでしょうか?学校が子どもの心を育てることができるのでしょうか?

実際は違うと思います。子どもの心は育っていくのです。育てられるのではないです。知識は与えることで増えていきます。子どもにとって知識はあくまでも知識であり、脳の中に書き込まれたメモに過ぎません。

子どもはそれまでに経験したことを利用して、子どもの周囲からの刺激に、単純に反応して、行動しています。それまで経験したことは、人から与えられた物ではありません。自分で獲得した物です。ですから育てられたのではなくて、育ったのです。
【2005/07/10 20:58】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

育てる

親が厳しく子どもを育てるという場合、子どもが親と同じ物を求めている場合には、その対応は正しいです。昔の社会=世界はほぼ現状維持でしたから、それが子どもに通じました。

現在は子どもは親とは別の世界に生きています。ですから、親の思いからの親の厳しさは子どもには通じません。子どもには虐待として理解されます。夫婦はご互いに同じ世界に生きています。妻は夫を頼り、夫は家庭を牛耳ることに、問題を感じません。妻が夫に頼りがいがあると判断する原因になっています。

親が子どもを育てる場合、親は子どもと同じ世界に生きていると理解されただけです。確かに時間的には同じ時間を共有していますが、子どもは学校という、全く別な世界で成長しています。家に帰っても、親が子ども時代と違う物に囲まれて、生活しています。それで居て、親から親の子ども時代とおなじ事を要求されても、子どもは納得できません。

親として大切なことは、親と違う世界に生きている子どもの判断を尊重して上げることでしょう。
【2005/07/09 20:21】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

あらゆる行動を認める

子どものあらゆる行動を認めると言うことは、子どもに叱ったり、注意をしたりしないという意味です。子どもの要求を100%叶えるという意味です。

それは親にとってとても辛いことです。親の知識や常識を捨てることになります。親を辞めて、子どもの召使いのようになります。親という概念からの親でいれなくなります。

それは親にとってとても辛いことです。辛いけれど子どもを守ろうとする親だからできることです。見かけはとんでもない親に見えますが、それはそのように見る人が間違っているのであり、本当の親をやっていることになります。

子どものあらゆる行動を認めようとする親を、子どもは初めのうちはテストします。本心から子どものあらゆる行動を認めようとしているのかどうかのテストです。なまじっかの意識で子どものあらゆる行動をみとめようとしても、子どもはそれを直ぐに見破ります。

100%子どものあらゆる行動を認めないと、子どもは親を信じてはくれません。勿論、ここで言っている子どもとは、親に言葉を話してくれない子どもに関しての話です。
【2005/07/08 19:13】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

喋って貰うには

自分の気持ちを表してくれない子どもに、自分の気持ちを喋って貰うにはどうするかという問題に、多くの母親はとまどっていると思います。自分の気持ちをじゃべってくれない子どもは、自分の気持ちを喋ることで辛くなった経験があるからです。

自分の気持ちを喋ると、それに母親が反応して、子どもが責められて辛くなると言う経験からの知識があるから、子どもは母親に喋ろうとしません。その子どもの持つ親に喋っても辛くならないどころか、帰って楽になると言う知識に置き換えて上げる必要があります。

そのためには、子どもの言ったことを、素直に聞くこと。分析しないこと。共感できたら一番良いのですが、共感できなくても、ただ事実として子どもの言葉を相づちを打ちながら聞くことです。

その前に、まず子どもが喋ろうという気持ちになって貰わなくてはなりません。そのためには、子どものあらゆる子どもの行動を肯定することから始めなければなりません。子どものあらゆる行動を認めると言うことに関しては明日書きます。
【2005/07/07 19:41】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(2) |

子どもは喋りたがる(終わり)

子どもは、特に辛い状態にある子どもは、しゃべることで安心します。その内容を少し説明しておきます。

子どもは自分の思いを喋ることで整理することができます。それは大人でも同じで、喋ったり文章にすることで自分の思いを整理します。子どもは、特に辛い状態の子どもは文章を書く余裕がないので、喋ろうとします。

その喋る言葉を否定されると、子どもはそれ以上喋られなくなります。それは自分の意見をまとめられない、混乱のままだと言うことになります。子どもなりの対応法が見つからないと言うことになります。

子どもが喋ることができたら、その子どもなりに納得できて、その子どもなりの反応法、対応法が見つかります。ただし、それは論理的に見つかるという意味でなくて、無意識からの反応法が出てくるという意味です。外に向かって何かをし出すという意味です。それが子どもを元気にします。
【2005/07/06 21:15】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(1) |

子どもはしゃべりたがる

子どもは自分を認めてくれる人には、その子どもの思いを話したがる物です。特に嬉しいこと、その又逆の辛いことを、話したがります。

親が子どもに、子どもについての話をして貰いたいのなら、子どもの言うことを否定しないで聞くことでしょう。肯定できたらもっと良いのですが、肯定できなくても、その子どもがそのように感じた、そのように判断したことを、事実としてそのまま認めるなら、子どもはその子どもの思いをどんどん話してくれます。

子どもがなぜ話したがるのか、それは子どもが話すことで安心をするのです。自分を確認しているのです。ですから、話の内容に踏み込まないで、子どもが話したがっている、子どもが話しているという事実を大切にする必要があります。

思春期になると男の子は話さなくなると言うことが常識のように信じられています。しかし、それは嘘です。確かに女の子の方が男の子よりいろいろとしゃべってくれますが、男の子も、親が素直に言うことを聞いて上げると、どんどんしゃべってくれます。
【2005/07/05 21:02】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ストレス刺激

ストレス刺激とは、その刺激を受けると、その人が辛くなる場合、その刺激を言います。他の言葉で言うと、嫌悪刺激又は恐怖刺激と言います。ただ、これらの言葉には若干の違いがあります。

一般に嫌悪刺激とは、その刺激を受けると、その人が辛くなりますが、その程度が軽度な場合を言うようです。恐怖刺激とは、その刺激を受けると、その人が逃げ出したり、暴れたり、いろいろな病的な症状を出して動けなくなる場合を言います。ストレス刺激とは、その中間を言うのかも知れません。

また、ストレス刺激には、その刺激を受けると生じる嫌悪を意識していないという意味合いも持っていると思います。つまり嫌悪刺激を受けたのに、恐怖刺激を受けたのに、嫌悪刺激と、恐怖刺激と気づかない、認識しない場合を刺している場合もあります。
【2005/07/04 20:54】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

非常識の世界

不登校や引きこもり、青少年犯罪など、辛い状態の子どもの反応の仕方には、常識は当てはまらないようです。常識的に親や周囲の大人が反応すると、不登校や引きこもり、青少年犯罪の子ども達は帰って追い込まれてしまい、問題を難しくしてしまいます。

このようなことを言っても、常識的な一般の人はそれを信じません。非常識なことを言う私たちを間違っていると言います。でも、常識がいつも正しいというわけではありません。

今日、テレビのある番組で、新興宗教のような、詐欺師のような集団の報道がありました。その中心になっている人が、やはり私と同じ事を言っていました。常識的な人には彼らの言うことは分からないと。けれど彼らの言うことが真実だと言っていました。

真実とは何か。それは神様しか分からないのかも知れません。けれど限りなく真実に近いのが科学です。科学ですら間違っている場合もあるのですが、科学は科学で間違いを修正して、全体として100%再現性を持っています。

人間の心も科学で理解するなら、その再現性は100%でなくてはならないし、また100%であり得ます。
【2005/07/03 22:45】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

我が儘

我が儘という意味は、現在の日本社会では、悪い意味に使われています。大人の我が儘については、それは悪い意味でしょう。大人は自分を調節する必要がありますし、また、自分を調節する能力を持っています。

その大人の我が儘を子どもに当てはめることは間違いです。子どもは自分を調節する能力を持っていません。大人から見たら我が儘に見えることが、子どもとしては自然の姿です。

大人から見て、しっかりした、真面目な子どもを見かけます。大人はそれを喜びます。けれど子どもという生物としての立場から見たら、それは子どもが大人のために無理をしている姿です。よい子を演じている姿です。よい子を演じ続けられるのでしたらそれは問題ないでしょうが、必ずいつかはその無理が利かなくなる時期が来ると考えた方が良いです。

特に辛い状態の子どもに関しては(それは辛い状態の大人にも当てはまる場合もありますが)、大人から見て我が儘と思えるような行動をしているときは、子どもとして自然な姿を出せるようになったと考えられて、元気になるために必要なことと考えて欲しいです。

【2005/07/02 08:18】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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