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登校拒否の部屋
登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題を子どもの立場から考えます。 参考 登校拒否研究室 インターネット小児心療内科医院

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心の傷とは何か?

心の傷とは何か?

事件が心に傷をつける。
心の傷は、心に傷を付けた事件の記憶に反応する場合と反応しない場合がある。
心の傷は事件が起きて心に傷が付いたときに、その人の周囲にあった何かに激しく反応して疼く ようになっている。その何かは、人によって異なる。
心の傷があっても、疼かなければ、日常生活や成長に影響を及ぼさない 。
楽しいことで、心の傷は癒えてくる 。
心の傷の深さにより、具体的な対応が異なる。
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【2005/10/31 14:49】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱者の論理7

 子どもの心は、生物としての心の反応を示し、その対応は、生物としての子どもの心に沿った物でなければなりません。子どもの心に沿った対応であるから、元気な子どもにも当てはめられる訳ですが、元気な子どもに敢えて当てはめる必要がない子どもの論理(心理)です。それは子ども特有の論理(心理)であり、大人の持つ常識で理解できない論理(心理)です。登校拒否、不登校、引きこもり、問題行動を起こした子ども達への対応で、用いなければならない論理(心理)です。そして大人についても、とても辛い状態になると、その大人にはこの論理が当てはまるようになります。
【2005/10/30 19:05】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(1) |

弱者の論理6

弱者の論理(心理)
 辛い状態の子どもは自分を守ることで精一杯ですから、大人の要求を受け入れる余裕はありません。大人の要求を受け入れる余裕のない子どもに、大人の要求に従えと関わり合っても、子どもはますます自分を守る反応に出てきます。大人の要求に従えないばかりか、大人の要求を拒否するようになってきます。場合によっては大人の要求の逆の反応を起こしたり、自殺してしまうようになります。
【2005/10/29 19:36】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱者の論理5

強者の論理(心理)
 元気な子どもは興味を持った能力やものについて、大人の要求を受け入れて、それを伸ばす能力があります。子どもの心は、生物としての心の反応ですが、子どもは大人の希望するものを受け入れられます。大人の希望する物を受け入れて、大人の希望する方向へ成長していけます。その姿は大人の持つ経験や常識で子どもを理解できる事になります。現在の学校教育、家庭での子育て、スポーツ選手の育成などで、この論理(心理)が使われています。
【2005/10/28 19:28】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱者の論理4

 この二つの反応の仕方の子ども達を厳密に分けることのできないもう一つの理由に、子ども達がいわゆるよい子を演じている場合があります。よい子を演じている子ども達は、親や大人達には元気な子どもとして判断されますが、自分を守るためによい子を演じているのですから、本来なら弱者に属します。よい子を演じる子どもは耐えられるだけ耐えて、親や大人達の要求を受け入れるように反応します。
【2005/10/27 19:58】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱者の論理3

 この二つの反応の仕方の子ども達を厳密に分けることはできません。その両者を併せて持っている場合もあります。ですから、全体にどちらの傾向が強いかと言うことで判断することになります。その両者を会わせて持っている子どものは、弱者として対応した方が良いように感じます。時間的にも強者にから弱者に変化したり、弱者から強者に変化していく場合もあります。
【2005/10/26 19:14】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱者の論理2

一つの反応の仕方の子ども達は、積極的にその子どもなりに何かをしようとする動機を持っている、又は、積極的に自分の周囲に関わろうとする動機を持っている(エネルギーのある)子ども達です。それを元気な子ども達(強者)と表現しておきます。もう一つの反応の仕方の子ども達は、積極的な行動が少なく、自分の周囲との関わりにも積極性がないばかりか、逆に自分の周囲との関わりを避けようとする子ども達です。それを辛い状態の子ども(弱者)と表現しておきます。
【2005/10/25 20:20】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

弱者の論理1

強者の論理、弱者の論理

 登校拒否、不登校、引きこもり、問題行動を起こした子ども達への対応を行っていて気づいたことです。親や大人達は、自分たちの経験や考え方から、子ども達と向かい合っていて子ども達を育てていますが、それでよい子どもと、それでは却って子ども達が辛くなる場合があるのはなぜか、その理由を分析してみました。そして、子ども達の反応の仕方(=いわゆる性格)は二つの傾向を持った子供達に分けられることが分かりました。
【2005/10/24 19:23】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

登校拒否、不登校とは

登校拒否とは、学校を見たり意識したときに、辛くなるという心のこと。

不登校とは、登校拒否の内で、辛さが強くて、実際に学校には行けなくなった子どもの状態。

引きこもりとは、子どもの周囲の物を見たり意識したときに、辛くなり、家からでなくなったり、自分の部屋から出なくなった子どもの状態

ニートとは、エネルギー(行動を起こす、続ける動機)が少なくて、自分が受け入れられない経済活動(実社会の経済活動)に参加できない子ども

フリーターとは、ニートよりエネルギーが多くて、自分の負担にならない程度に経済活動に参加する子ども
【2005/10/23 19:00】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる 最終回

「知識からの行動が大変に難しい」についてです。少なくとも思春期までの子どもは、前頭前野の神経細胞と、大脳の他の部分との連絡をする神経繊維の髄鞘化が不完全です。それは神経繊維が働いていないことを意味しています。前頭前野の機能は思考です。過去に得た知識を利用してある目的で行動することができないことを意味しています。つまり、子どもは親や大人達の意図していることは、子どもに求めていることは知識として分かっていますが、その知識から行動をすることができないことを意味しています。ただし、親というご褒美に惹かれて、親の希望するように行動することはできます。自発的に親の希望するように動けないという意味です。子どもは刺激を受けたら、その刺激に素直に反応するだけであり、子どもとしてある意図を持った行動は大変に難しいと言うことを指しています。
【2005/10/22 22:54】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる12

「子どもは刺激に素直に、精一杯、反応して行動する」についてです。子どもは与えられた環境に順応するには、子どもの経験を目一杯経験として記憶に残す必要があります。一つ一つの経験を有効な経験として残さない限り、経験した意味がないし、それは自然淘汰に耐える能力にはなりません。現在まで淘汰されないで進化してきている動物の子どもは、じぶんの経験を有効に記憶してきている動物の子どもです。それは、子ども達は可能な限り、能力の限り、刺激に反応し続けてきているという意味になります。つまり怠けやずるさを身につけた子どもは、大人になったときに自然淘汰にあっているはずであると、結論づけされます。子どもは受けた刺激に可能な限りの能力を発揮して反応していて、そこには手抜きである怠けやずるはないと言うことになります。また、刺激に能力の限り反応していると言うことは、まだ、思考能力のない子どもには、思考からの判断で行動することは不可能であることも意味をしています。人間の大人のような反応の仕方を要求しても、未だその能力がないから、無理だと言うことです。
【2005/10/21 08:44】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる11

「優しい。特に、母親が喜ぶのが好き」についてです。子どもは大人に比べて能力が低いです。それは自然淘汰を受けやすいことを意味しています。その自然淘汰から子どもを守るのが母親です。子どもは母親の母性を引き出し、母親は母性から子どもを守ろうとします。子どもが母親の母性を引き出すには、子どもは母親に優しくなければなりません。子どもは母親にほほえみかけ、子どもの能力にもよりますが、母親の希望することに、積極的に従おうとします。母親に可能な限り優しくして、その結果母親の母性からの保護を得ようとするのです。
【2005/10/20 19:12】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる10

「習慣化していない」と言うことは、子どもは似たような刺激を受けたとき、似たような状態になったとき、前と同じような反応をするとは限らないと言うことです。似たような刺激を受けたとき、似たような状態になったとき、子どもはその都度違う反応をする、違う行動をすることになります。そのような反応の中には、行動の中には、周りの大人から見て失敗と思われる物もあります。周りの大人から見て、度肝を抜くような反応をする場合も有ります。周りの大人の予想しなかったような方向へ動き出す場合もあります。それらの繰り返す経験の中で、その子どもはその子どもなりに一番良い対応を繰り返すようになって、その子どもにとって一番良い対応が習慣化していきます。習慣化すると今度は同じような刺激を受けた場合、似たような状態になった場合、子どもとして一番良いとして習慣化した反応が、行動が繰り返されることになります。
【2005/10/19 18:29】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる9

「新しいもの(刺激)を求める」と言うことは、結果的に親とは違う物を求める事になります。その親と違う物を得たときには、それに高い価値判断を付けたなら、親より進歩したという意味になりますし、低い価値判断を付けたなら、親から退化したという意味になります。進歩か退化か、それは単に周囲の人からの価値判断であり、当人としては親と違う物を獲得したと言うことになります。そして、親や周囲の人の価値判断で退化と判断されても、本人が進歩と判断する限り、それはその子どもの新たな特質となります。子どもは絶えず自分の価値判断で反応していきますから、価値判断は子どもの判断が尊重されるべきでしょう。
【2005/10/18 15:18】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる8

「自然に湧き出すエネルギーが大きい」ということは、子どもは絶えず何かを求めて動き回っていると言うことになります。一カ所にじっとしていないという意味です。子どもが教室でじっと先生の授業を聞くと言うことがおかしいと言うことになります。不登校の子どもが、不登校になりっぱなしと言うことはないことになります。引きこもりの子どもが引きこもりっぱなしでいることはないことになります。そのような意味でADHDの子どもは子どもとしては自然な姿の一つである可能性が高いです。
【2005/10/17 20:50】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる7

 「子どもは与えられた環境に順応しようとする」と言うことを現実の問題に置き換えますと、子どもは与えられた環境に順応=受け入れられる=良いと認識されるような行動をするという意味になります。それは、子どものあらゆる行動は、本能的に、与えられた環境に対して悪いことをしようとはしないという意味になります。もし、子どもが社会に好ましくない行動をしたとしたなら、それは子どもが失敗したか、それとも、子ども何かストレス刺激が加わっていて、社会に順応できる行動をすることができなかったという意味になります。
【2005/10/16 19:40】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる6

子どもを信じるとは、子どもの状態やすることを全て、それでよいと認めることですが、それは子どもの特性を信じることに置き換えることができます。
子どもの特性と、それから求められる現実の姿との関係を示してみたいと思います。
【2005/10/15 23:46】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる5

 辛い状態にある子ども達は、親や大人達から信じて貰えない上に、学校から得られる喜びがない(却って学校から苦しめられている)から、辛くなっています。信じて貰えないことに耐えるための代償が無いから、子ども達は親だけでも信じて欲しいと言って、親に行動や症状で訴えます。親が子どもを元気にしたいなら、子どもをとことん信じて上げることです。少なくとも自分の子どもを信じて上げない限り、辛い状態の子どもは親に向かって、自分を信じてと言うサインを、行動や症状で出し続けますから。
【2005/10/14 18:45】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる4

 現在の学校教育は子どもを信じていない社会構造の表れです。けれど元気な子ども達は、大人達から信じられていなくても、学校から得られる喜びを代償に、信じて貰えないことに耐えて、その子どもなりに成長をしていきます。つまり、元気な子どもでは、親や大人が子どもを信じなくても、親や大人の思いだけで子どもを育てても、子どもの方で大人に自分を合わせて、成長していけます。親や大人の思いと、子どもの喜びとが一致した場合には、子どもはとてつもなく大きな能力を身につけることになります。
【2005/10/13 19:05】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる3

 ところが現実は全く違います。日本中に学校教育が行き渡り、道徳教育が行われ、親にはしつけが要求されています。子ども達を管理する先生がいて、家の外には大人達が子ども達の行動を見張っています。家の中では、親のしつけが問題になっています。親が子どもをしつけなければならないということは、親が子どもを信頼してはならないと言う意味です。親が子どもを信頼していたら、子どもに子どもの成長の方向性を任せられるはずです。任せられないと言うことは、子どもを信じていないという意味になります。
【2005/10/12 18:38】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる2

 親や大人が子どもを信じる限り、親や大人は子どもに口出しする必要が無いはずです。子どもを信じる限り、子どものあらゆる事を、それで良いと認める事になりますから、子どもの全てを子どもに任せることになります。子どものあらゆる成長を全て子どもに任せることになります。それは教育もいらないし、しつけや道徳教育も必要なし、親や大人は子どもの要求だけを満たして、それ以外の全てを子どものするままに任せると言うことになります。
【2005/10/11 19:10】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもを信じる1

子どもを信じるとは何か

 子どもを信じると、言葉で言うことは簡単です。ですけれど親や大人が、具体的に子どもの何を信じて上げたら、子どもを信じることになるのか、分かる人はほとんど無いと思います。子どもに関わったことのない大人の中には、子どもを信じること自体を馬鹿げたことだという人も多いと思います。子どもを信じようとする多くの親や大人は、子どもに口出ししないこと、子どものすることに我慢をする、子どものやることを見ないようにすることを上げる人もあるかも知れません。
【2005/10/10 19:13】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性16

動物での反応が当てはまりやすい

 人間と他のほ乳類との違いは、人間は思考能力が有ることです。しかし人間の子どもは特別の場合を除いて思考能力を発揮しません。人間の子どもは言葉を話しますが、人間の子どもの反応の仕方は類人猿の反応の仕方にとても近いです。
【2005/10/09 21:14】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性15

刺激に素直に、精一杯、反応して行動する

 自然に湧き出すエネルギーが大きいと同意語といえないまでも、内容は同じです。


知識からの行動が大変に難しい

子どもは受けた刺激に瞬時に反応します。人間には思考能力が有りますが、子どもは特別な場合を除いて、思考能力を使いません。特別の場合とは、情動(感情とは少し違うのですが、感情も情動の一部ですので、感情と表現した方がわかりやすいかも)がきわめて安定しているときです。
【2005/10/08 21:12】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性14

優しい。特に、母親が喜ぶのが好き

与えられた環境に順応すると言うことは、別の表現すれば、その子どもの仲間に優しいという意味になります。特にその子どもを守ろうとする母親に優しくないと、母親からの保護が得られないことを意味するからです。
【2005/10/07 14:20】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性13

習慣化していない

母親の周囲の環境には習慣化していますが、母親の周囲の環境とは違った環境のもとでの経験は、子どもにとっては目新しい物(新奇刺激)続きです。その刺激に対する対応法の仕方は子どもにとっては初めてであり、母親の周囲の環境下で経験したことを行います。それを行ってその結果を自分で判断することになります。子どもは母親の周囲の環境下で経験していなければ、逃げ出して母親の元に帰ってくることになります。母親の周囲の環境とは違った環境で経験したことが、その子どもなりに納得できたなら、子どもはその反応の仕方を繰り返して、習慣化していきます。母親の周囲の環境とは違った環境に順応していくことになります。
【2005/10/06 19:05】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性12

新しいもの(刺激)を求める

 これは自然に湧き出すエネルギーが大きいという意味の、別の面を述べた物です。母親の周囲の環境は子どもにとって目新しい物ではありません。母親から離れたところの環境に興味と意欲と喜びを感じて経験しようとします。
【2005/10/05 18:53】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性11

 母親に守られて母親の側にいるだけでは、母親の周囲の環境には順応できても、大人となって母親から離れて、独り立ちするときには、役に立たず、自然淘汰されてしまいます。子どもが独り立ちして自然淘汰に耐えるためには、自分から母親の側を離れて、母親の周囲の環境とは違った環境の中での経験をする必要が有ります。自分から母親から離れて、母親の環境とは違った環境に興味を持ち、危険を伴いますが、母親の周囲の環境とは違った環境野中で、その子どもなりの経験をする意欲と喜びを子どもは本能として持っていなければなりません。現実に乳類の子どもや、人間の子どもを観察してみますと、そのような意欲と喜びを持っています。
【2005/10/04 20:24】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性10

自然に湧き出すエネルギーが大きい
 エネルギーとは、何々したいという意欲、又は何かを求めようとする動機付けと言えます。ほ乳類の子どもは成長の過程で与えられた環境に順応する能力を身につけることに意味があります。与えられた環境に順応するには、与えられた環境と可能な限り多く、関わる必要が有ります。できるだけ多くの経験をして、自然淘汰に打ち勝つ能力を持った子供の方が、大人になって、より確実に生き延びられて、より優秀の子孫を残すことができます。
【2005/10/03 19:24】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもの特性9

それは子どもが母親から自立したときには、直ぐに自分を自然淘汰から守る有効な能力となります。そのようにして母親は子どもが与えられた環境に逆らうことも許し、子どもが自然淘汰される危険性を感じ取ると、母親は子どもを安全な自分の周囲に子どもを保護して、子どもを守ろうといます。けれど、時には母親でも子どもを守りきれないことが生じます。それは子どもの死を意味します。母親は悲しがりますが、それも受け入れています。
【2005/10/02 21:31】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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