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登校拒否の部屋
登校拒否、不登校、引きこもり、青少年問題を子どもの立場から考えます。 参考 登校拒否研究室 インターネット小児心療内科医院

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子どもはいつからよい子を演じ始めるか? 3

 子どもの性格として判断される子どもの反応の仕方は、行動の仕方は、子どもの本能がどのようにして満たされていくか、どのようにして否定されていくかで形成されるとともに、親が喜ぶか、親が嫌がるかという要素からも形成されていきます。親が喜ぶ反応の仕方、行動をその子どもなりに発展させて、親が嫌がる反応や行動をその子どもなりに放棄して、子どもの性格を形成していきます。親との関係で自分の性格を形成していく過程を別な見方をすれば、子どもとは親にとっていい子でありたいと本能的に願って育っていく姿であるとも表現できます。どの親も子育てで一生懸命で気づくことはないのですが、親から見たら、子どもは「本質的にいい子」であることになります。
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【2006/10/27 18:47】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもはいつからよい子を演じ始めるか? 2

 子どもの性格は、子どもとしての本能が満たされる課程でも形成されていきます。自力で動けるようになった子どもは、本能的に子どもは何かを求めて行動を始めます。その何かを求めることが、子どもの本能を満たしてくれるときには、親が喜んでくれた経験と結びつくときには、それがうれしいこととして繰り返し、習慣化して性格を形成していきます。その何かを求めることが、子どもの本能を否定するときには、親が悲しがった経験と結びつくときには、それは嫌なこととして避けようとし、繰り返すことで習慣化して、子どもの性格を形成していきます。
【2006/10/25 21:42】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

子どもはいつからよい子を演じ始める? 1

 いい子とは、親にとって、子どもに向かい合っている大人にとって、好ましい姿や行動をする子どもです。子どもは成長の過程にありますから、子どもの周囲にその子どもなりに働きかけて、いろいろとその子どもなりに学習して、その子どもを取り巻く環境に、その子どもなりに一番良い生き方ができるように育っていきます。子ども自身を習慣づけていきます。子どもにとって一番大切な大人は親です。子どもにとって一番大切な環境とは家庭です。子どもは生まれ落ちるとまもなく、家庭でいろいろな経験をして、親が喜べばその経験を繰り返し、親が悲しがれば、その経験をやめようとして、その子どもなりの価値判断を作っていきます。それは親や大人から見たら、その子どもの性格と判断される物です。
【2006/10/23 19:49】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 8

 つまり、学校に行き渋る子供に、学校に行くかどうかの判断を預けた場合、「学校には行かなければならない」ということを知っている子ども、「母親が学校に行って欲しいと願っている」ことを知っている子どもにとっては、「学校に行かなければならない」、「学校に行きなさい」、「学校を休んではいけません」といわれたのと同じ結果になります。学校に行かなくて良いとは、全く思いません。それにより強い葛藤状態に陥ります。

終わり
【2006/10/19 16:27】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 7

 母親ばかりでなく、子どもに強い影響を与える人から言われた、「学校に行きたくなければ」とか、「学校を休みたかったら」という言葉から、子どもは「学校にいかない」、「学校を休もう」とは思いません。それどころか、より強く学校に行こうとします。「学校に行こう」という結論に達しても、子どもの本心が「学校には行けない」となっている事実から、子どもの体は学校に向かって動けません。そこで子どもはより強い葛藤状態に陥ります。子どもはより辛い状態になってしまいます。
【2006/10/18 14:04】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 6

子どもは「学校には行かなくて良い」という思い(知識)を持ち合わせていません。「学校に行って欲しいと母親が願っているから、それに従うべき」という、母親へ優しい子どもの思いが強く思い出されて、子どもは「母親の思いに従って、学校に行こう」という結論に達します。その際に、子どもの本心が学校には行けないとなっていることは、配慮されません。子ども自身が自分の本心に気づいていないからです。
【2006/10/17 16:28】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 5

 子供は相手の心を読むことはできません。言葉通りに素直に理解しようとします。子供が言葉通りに理解する場合、「休みたかったら」または「休みたかったら」という母親の言葉を聞くと、今まで持っている「自分が学校に行って欲しいと母親が願っている」という優しい子どもの母親への思い(知識)から、また「学校には行かなければならない」という子どもの持っている知識が強く思い出されてしまいます。
【2006/10/15 18:39】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 4

母親はこの子どもが学校に行こうとするが、それでいて学校に行こうとしない子どもの姿を認められないのです。行くなら行く、行かないなら行かない。どちらかにして欲しい。「何時までもつきあっていれない、行かないなら行かないで良いから、行かないようにしなさい」という意味の言葉を子どもに送っています。
【2006/10/14 21:07】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 3

 現在の子どもは、知識として、「学校には行かなくてはならない」という知識をしっかりと持っています。「母親が学校に行って欲しいと願っている」事実をよく知っていますから、学校に行き渋る子どもは、今まで通りに学校に行こうとします。しかし本心は学校に行けないですから、子供の行動としては、親から見て学校に行くのか行かないのかわからない、ぐずぐずしている子どもの姿、行き渋りの姿になります。
【2006/10/11 16:23】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 2

 学校に行き渋る子どもの本心(潜在意識の心)は学校に行けない、学校を休みたいとなっていますから、本来なら「休みなさい」、または「学校に行かなくていい」という母親からの言葉を待っています。子どもの本心から、学校に行くことはできませんから、学校に行こうとはしません。母親も、子どもが学校に行かないことを、認めようとしたつもりでいます。子どもが学校に行かないのを認めたのではなくて、子どもが学校に行かないなら、学校を休むなら、その事実を母親は認めるという意味になります。
【2006/10/10 16:18】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

休みたかったら休んでいいよ 1

 学校に行き渋る(はっきりと学校に行かないと表現はしていない場合)子供に、母親が「休みたかったら、休んでいいよ」とか、「行きたくないなら、学校に行かなくてもいいよ」と言った場合です。母親は子供に「お母さんとしては、学校を休んでいいから、後は自分で決めなさい」、または「お母さんとしては、あなたが学校に行かなくていいから、学校に行くか行かないかは自分で決めなさい」言ったつもりの場合が多いです。その言葉を聞いたとき、子供はどのように理解するかを考えてみます。
【2006/10/07 19:51】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

学校に行きたい 5

 言葉では「学校に行きたい」と言いながら、実際には学校に行けない子どもにとって、その学校に行けないという問題以上に優先されるのが、子どもと母親との信頼関係です。これは子どもと母親という関係で誘発される子どもの本能であり、母親の本能です。言葉では「学校に行きたい」と言いながら、実際には学校が辛くて学校には行けないという子どもの心の状態を感じ取れるのは母親の母性です。母性を働かせると、子どもの問題は理屈抜きで理解できるようになります。

終わり
【2006/10/05 20:19】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

学校に行きたい 4

 日本の子ども達は学校に行くべきものと知識の上で徹底的にすり込まれています。子どもの知識の中で、最も重要な知識になっています。行くべきものと徹底的にすり込まれた学校に行こうとしない子どもは、学校に行けないことが、他の何物にも比べられないぐらいに優先度が高て重要な問題に、知識ではなっています。知識の上では学校に行かなくてはならないと知っていても、学校が辛くて実際に学校には行けないという事実(本心に付けられた傷、その傷から生じる反応を本人ではどうにもできない)に、子どもは葛藤状態になっています。
【2006/10/04 20:03】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

学校に行きたい 3

 その子どもの「学校に行きたい」という本心に反した言葉に、母親が肯定的に答えたなら、母親は子どもの本心に反したことになります。言葉には肯定的に応えても、本心に反した答えは、子どもの本心を否定したことになり、子どもは苦しくなります。子どもを苦しめることになります。子どもの「学校に行きたい」という言葉に肯定的に答えないで、子どもの本心、学校が辛い、勉強が辛い、その結果人に会うのが辛い、という子どもの本心に沿った答えを母親が出すと、その答えは子どもを一見否定しているようですが、子どもの本心に沿っていますから、子どもはほっと安心して、母親を信頼するようになります。このことをテストと私たちは表現しています。
【2006/10/02 20:41】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

学校に行きたい 2

 不登校をしている子どもの本心は、学校に行こうとしない子どもの行動から、不登校をしているという子どもの事実から、学校が辛い、先生が辛い、勉強が辛いとなっています。理性は経験や知識からの判断です。そこには理屈や理由があります。本心は単なる反応ですから、子どもの学校が辛くて、学校には行けないという反応に、理屈や理由はありません。その子どもの本心に反する子どもの言動は、子どもの本心とは異なった知識だけから生じています。
【2006/10/01 21:47】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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