先生や大人たちは、いじめ事件が調べられて、首謀者が見つけられて、処分されて、それでそのいじめ事件は一件落着と考えます。それ以上いじめ事件を調べようとはしません。先生や大人たちの、きわめて単純な発想、いじめる子どもが悪い。悪い子どもたちを守る必要はないという発想なのです。ところが実際のいじめはきわめて巧妙に行われていて、きわめて単純に発想している大人たちにはその全体像が見えなくなっています。先生や大人たちは、「いじめは悪い、いじめる子どもが悪い」とだけ考えて、そのいじめやいじめる子どもを作り出す学校は少しも悪くないと学校を擁護して、いじめを生み出す学校の問題点を探そうとはしないのです。いじめは一部の問題がある子どもが行っていることであり、その子どもたちを処分したら、それ以上いじめの問題は起こらないと考えようとしています。いじめを見つけようとも、いじめに本気で向かい合おうともしません。いじめの問題を本気で考えたなら、教師が責任を取ることになり、教師の素質が問われ、その学校が崩壊し、学校制度が崩壊する可能性があるからです。
スポンサーサイト